2015年10月の本

Index

  1. 『落語百選 秋』 麻生芳伸・編
  2. 『死との約束』 アガサ・クリスティー

落語百選 秋

麻生芳伸・訳/ちくま文庫(Kindle版)

落語百選 秋 (ちくま文庫)

 サッカーのときにも書いたけれど、この頃はなぜだか気力の低下いちじるしく、あまり難しい本は読む気になれないので、なるべくさらっと読めて楽しそうな本(そして安い本)ってことで、Kindleストアのバーゲンで見つけて読んだ落語本。
 『落語百選』というタイトルだけれど、もともとは文庫本の電子化なので、これ一冊に百編も入っているわけはなく、春・夏・秋・冬と題した四分冊になっている。これはそのうちの『秋編』。
 秋というからには第三巻なのだろうと思うけれど、それにしては、『目黒のさんま』、『寿限夢』、『時そば』といった、日本人ならば誰でも知っているような──これより有名な落語がほかにあるんだろうかと思ってしまうような──古典落語のとびきりの代表作が収録されているので、本当にこれって三冊目かなとちょっと疑問。
 あ、でも「日本人なら誰でも知っている」とか書いたけれど、そういや、うちの娘はこのあいだ、目黒のさんま祭りのニュースを見て、「目黒のさんまってなに?」とか言っていた。考えてみれば、僕もふだんは落語なんてテレビでもまず観ないし、そんな家庭で育てば、子供が落語を知らないのも当然。うーん、なんかちょっと日本人として間違っている気がしてきた……。
 それはともかく、落語は基本口承文化なので、正規に書き残された正典のようなものはないらしく、この本も編者の麻生芳伸という人が、著名な落語家の語りをもとに書き起こしたものらしい。
 なので、落語といえば江戸時代というイメージに反して、枕の部分の語り限定とはいえ、「電車通り」とか「マラソン」とかいう言葉がでてくるものがある。これにはちょっとびっくり。おぉ、これってじつはあまり古くないんだなと思った。
 あと、本文は落語の語りを「ずゥッと歩いていくッてえと」みたいな調子で再現していて、これがあまり読みやすくない。難しいってわけではないけれど、読みやすくもない。さらっと読みやすい本をってんで手にしたにもかかわらず、あまり読みやすくないという。なんだかその点でも間違っている気がした一冊。でもまぁ、それなりに笑いながら楽しく読ませていただきました。
 そういや、京極夏彦が書き直した『死神』のオリジナル(?)も収録されているのだけれど、これは京極氏のリライト版のほうがおもしろかった(とかいいつつ、「あ、この話、知ってる」とか思った大馬鹿者)。まぁ、記憶力のあやしい京極ファンの贔屓目かもしれません。
(Oct 20, 2015)

死との約束

アガサ・クリスティー/加島祥造・訳/クリスティー文庫(早川書房・Kindle版)

死との約束 (クリスティー文庫)

 ポアロものにしては珍しく、僕にとって初読の作品。地味で抽象的なタイトルに惹かれず、若いころには読んでいなかったらしい。もしかして忘れているだけって可能性もあるけれど、少なくても、うちの本棚には見当たらなかった。
 僕個人の話を抜きにしても、この作品は少々珍しい部類に入ると思う。なぜって、設定的にかなり前作『ナイルに死す』に似ているから。クリスティーは作品ごとにさまざまなミステリとしてのスタイルの変化を試してきた感があるので、二作連続で同じような作品というのは、なにげに珍しい。
 冒頭、ポアロがたまたま泊まっていたエルサレムのホテルで、窓の外から「彼女を殺してしまわなきゃいけない」という会話が聞こえてくるの耳にするという部分は、同じように事件が始まる前に最重要カップルの会話を耳にしていた前作の繰り返しのようだし、その後の中東旅行中に殺人事件に遭遇するというのも一緒。なにより、殺人が起こるまでに多くのページ数を費やしている(この作品の場合は全体の四割以上)という構造の点でも似かよっている。
 だから二番煎じでつまらない──といいたいわけではなく、これはこれでおもしろい。前述した冒頭のエピソードのため、女性が殺されるというのが暗示されているところへ、とても性格のわるい嫌われ者の老婦人(僕のイメージはジャバ・ザ・ハット)が登場。事件が起こる前から、あぁ、被害者はこの人かってことになる。被害者があらかじめ予想できる(でもなかなか殺されない)というのが、この作品のいちばんの特徴。
 あ、そういう意味では、いざ事件が起こるまでは、誰が殺されるのか、さっぱりわからなかった『ナイルに死す』とは、ミステリとしては性格が異なるな。舞台や小説の構造こそ似かよっていながら、ミステリとしてはまったく違う性格を持っているという。そういう意味では、これもやはりミステリの多様性に挑戦しつづける作家、アガサ・クリスティーらしい一作といえるのかもしれない。
 ちなみに、この作品の犯人は、僕にはまったく思いがけない人だった。クリスティーのミステリでは、動機の意外性に感心することは多くても、犯人が誰かはわかっちゃうことが多いので、ここまで見事にトリックにひっかかったのはひさびさだった。
 まぁ、とはいえ、まるきり犯人は読み違えていたものの、動機自体は思った通りだったので、驚き半分というところ。あ、なるほど、その人が犯人だって気がつかなかった俺が馬鹿だったと思いました。
 あと、ポアロが関係者を集めて謎解きをしてみせるお馴染みのクライマックスのシーン、それ自体になにげにトリックが仕掛けてあるのには感心した。これには、さすがクリスティーと思った。
(Oct 24, 2015)