2016年1月の本

Index

  1. 『ヒトでなし』 京極夏彦
  2. 『ジェイルバード』 カート・ヴォネガット

ヒトでなし 金剛界の章

京極夏彦/新潮社

ヒトでなし 金剛界の章

 この作品、近年の京極夏彦の作品の中でも、とびきりタイトルが地味だと思う。この題名にしてこの表紙だと、いちげんさんはまず寄りつかないんじゃないかという気がする。ファンである僕にしろ、いざ読み始めるまではあまり惹かれないでいた。
 そしたらば、びっくり。本当におもしろくないんだもの。
 いや、といったのでは語弊がある。この小説はとても個性的な作品だし、これまでの京極作品に負けず劣らずおもしろい。さすが京極夏彦って内容の作品に仕上がっている。
 ただし、それは最後まで読んだ今だからこそ思うことであって、最初のうち──少なくても、第一話に関して──は本当におもしろくもなんともない。
 わけありな語り手のくどいまでの内的独白は、つねに変わらぬ京極作品の特徴のひとつだと思うのだけれど、この小説の第一話はほぼそれだけで全部と言ってしまっていいような内容なのだから。
 幼い娘を失い、それが原因で妻と別れ、仕事もくびになった主人公が、帰る場所もないまま、行くあてもなくうろうろしているうちに、見知らぬ女性の自殺を(結果的に)思いとどまらせ、高校時代の同級生とぐうぜん行き合う。
 で、第一話はこれといった起承転結がないまま、そこで唐突に終わってしまう。
 僕はこの小説を京極氏お得意の連作短編だと思っていたので、まったく落ちのつかないその展開にあぜんとした。えー、なにこの小説?
 要するにこの作品は、『巷説百物語』のような一話完結の連作ではなく、一個の長編小説なんだった。雑誌の連載小説だったから、その単位で話が分かれている。
 ──いや、もとい。少なくても序盤はそう。ようやく物語の全体像が見える途中からは、いちおう一話ずつ話が完結するようになる。で、そうなってみて、ようやくおもしろく読めるようになる。つづきが楽しみになる。
 でも、この作品の場合、僕にとっては、そうなる前の得体の知れなさがひとつのポイントだった。なんだか得体の知れない話が、思わぬほうへと進んでゆき、最終的に、いいんだか悪いんだか、よくわからないところへ着地する。そこがこの本の醍醐味だった。
 なので、あえてどういう話かは書かない。興味のある人は読んでみてください。で、その場合は序盤でつまらないといって閉じたりせず、四話目くらいまで我慢して読み進めることをお勧めします。その辺からはとてもおもしろくなる──と思う。たぶん。
 少なくても、僕はとても楽しんで読んだ(途中からは)──とはいっても、あまり楽しいといえる内容ではないんだけれど。いや、それどころか、とてもひどい話かもしれない。それでも──というか、それゆえにか──読書としてはとても楽しかった。ぜひつづきが読みたい。でも、ネットに公開されていた京極氏のインタビューによると、これと対になる予定の「胎蔵界の巻」は主人公・尾田慎吾の奥さんの話になるらしい。
 それはそれで興味がないわけではないけれど、やはりこのストレートな続編を期待せずにはいられない。
(Jan 25, 2016)

ジェイルバード

カード・ヴォネガット/浅倉久志・訳/ハヤカワ文庫(Kindle版)

ジェイルバード

 僕が読んだヴォネガットの最初の何冊かのうちの一冊であり、当時文庫本で読める最新作だったこともあって、個人的にはもっとも思い入れのある一編。ただし、今回は気分が乗らなくて、いまいち楽しみ切れなかった。
 物語はウォーターゲート事件のとばっちりを食って刑務所に入れられてしまった元政府職員、ウォルター・F・スターバック氏の手記という形をとっている。
 おもしろいのは、このスターバック氏の生い立ちを語る上で欠かせない過去のある事件が、冒頭のヴォネガット自身のまえがきの中で、まるで実際にあった史実であるかのように語られていること。本編に入る前からすでに虚実がないまぜになっているこの感覚が、いかにもヴォネガットらしい。
 ただ、正直なところ、スターバックが刑務所のなかで、みずからの生い立ちと実刑を受けるまでのいきさつを語る前半──お役御免になったはずのギルゴア・トラウトが囚人のひとりとして別名で再登場する──は(今回は?)それほどおもしろいと思わなかった。
 話に勢いがつくのは、やはり彼が出所してから。かつての恋人だったホームレスの女性と再会し、それがきっかけとなって、さまざまな人々の運命が一変することになる後半が、やはりいい。
 マンガのように楽観的な馬鹿話でありながら、それでいてある種の苦みをはらんだ無情感漂うこの世界観は、ヴォネガット以外の作家ではなかなか味わえない。社会主義的なユートピアの建設と挫折を描いている点で、過去のいくつかの作品とリンクしているし、そういう意味でもヴォネガットを代表する作品のひとつと呼んでもいいのではと思う。
 それにしてもこんなに社会主義的なメッセージの込められた作品を書く作家が、社会主義に対して赤狩りのような過剰反応をしめすアメリカで受け入れられたのは、いまとなるとちょっと不思議な気がする。
(Jan 31, 2016)