2019年4月の本

Index

  1. 『くらもち花伝 メガネさんのひとりごと』 くらもちふさこ
  2. 『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート
  3. 『最後の将軍』 司馬遼太郎

くらもち花伝 メガネさんのひとりごと

くらもちふさこ/集英社

くらもち花伝 メガネさんのひとりごと

 僕の少女マンガの原体験はくらもちふさこだった。
 それ以前にも『キャンディ・キャンディ』や『ベルサイユの薔薇』、『エースをねらえ』などは読んだことがあったけれど、それらは少女マンガというよりはアニメの原作としての性格が強かったから、特に少女マンガであることを意識してはいなかったと思う(そもそも誰に借りたんだかまるで記憶にない)。
 そうしたメディアミックスを抜きにして、初めて純粋に少女マンガを少女マンガとして読んだのがくらもちふさこの作品だった。
 なぜくらもち作品を読むようになったかというと、単純な話で、うちの奥さんが結婚時に引越し荷物として新居に持ち込んてきた唯一のマンガがくらもちさんの作品郡だったから。それほど熱心なマンガの読者ではないうちの奥さんが、なぜだかくらもちふさこだけは愛読していたのでした。
 僕はなにかと運のいい男だったりするけれど、結婚相手がたまたまくらもちふさこのファンだったというのも、間違いなくその幸運のうちのひとつだと思う。
 だってないでしょう、僕らの世代の男には、くらもちふさこと出会う機会って?
 家族に姉や妹がいればともかく、男兄弟で生まれ育った昭和生まれの男には少女マンガと出会う機会なんて、せいぜいアニメしかないわけで。アニメ化されていない少女マンガについての知識なんて当時はほぼゼロだった。
 そんなところへ、くらもちふさこの主要作一式が、妻の数少ない蔵書の一部として持ち込まれてきたわけです。しかも時は『天然コケッコー』の連載が始まったばかりのころ。これを僥倖{ぎょうこう}と呼ばずなんと呼ぼう?
 僕にとって初めて読むくらもちふさこの世界は驚きに満ちていた。え、少女マンガにはこんな世界もあるんだと思った。
 くらもちさんの作品で描かれる物語は、それまで僕が抱いていた単純な少女マンガのイメージを刷新した。基本的にはどれも恋愛マンガだけれど、でもそれはハッピーなキスで終わるボーイ・ミーツ・ガールの物語なんかじゃない――いやまぁ、初期の作品はそうかもしれないけれど、少なくても中期からは確実に違う。
 個人的には『Kiss+πr2』のあたりがターニング・ポイントだと思っている。少女マンガなのに男性を主人公にしたあの作品以降のくらもち作品は、どれも単なる惚れた腫れたの紋切り型の恋愛劇には終わらず、その背後にある人としての心の機微を繊細に描いている。その物語には性別を超えて訴えかける力があると思う。まぁ、作風にくせがあるから万人に、とはいいがたいけれど。
 少年マンガのファンタジーやスポ根ばかりの世界観に慣れた僕にとっては、魔法もスポーツも殺人もなしで、ごく普通の人たちを主人公にここまで深みのある物語を描けるマンガが存在したということが驚きだった。それはそれまで僕が親しんできた少年マンガ・青年マンガにはない世界だった。その読後感は、どちらかというとマンガというよりも漱石あたりの文学に近い気がする。
 くらもちさんのファンになったのをきっかけに、その後の僕はわけへだてなく少女マンガを読むようになり、いまとなると少年マンガよりも少女マンガのほうが読んでいる量が多いんじゃないかって状況だけれど、それでも(いくえみ綾を例外として)いまだにくらもちふさこに比肩しうるほどのマンガ家とは出会えていない。
 そんなくらもち先生が自らの創作の姿勢や作品の思い出を語ってみせたのが本書。なんと帯の推薦文は椎名林檎だっ!
 本の中身にはぜんぜん触れてないけれど、ここまで書いたら満足がいってしまったので、これにておしまい。
(Apr. 07, 2019)

渚にて 人類最後の日

ネヴィル・シュート/佐藤龍雄・訳/東京創元社/Kindle

渚にて 人類最後の日 (創元SF文庫)

 核戦争により絶滅の危機にある第三次世界大戦後の世界を描いたSF小説の金字塔とのこと。
 この小説、核戦争後の世界を前提にしている時点でジャンル的にはSFってことになるんだろうけれど、その内容にはびっくりするくらいに近未来的なところや超常的なところがない。
 舞台となるのはソ連と中国が始めた核戦争により放射能が蔓延して北半球が絶滅してしまった世界。その影響がいまだ及ばない南半球のオーストラリアで、いつ訪れるかもしれない死の灰の恐怖に怯えながら暮らす人々の姿を描いてゆく。
 物語の中心となるのは国を失ってオーストラリアに身を寄せたアメリカ軍の潜水艦の艦長。彼が調査のために出向く二度にわたる北半球への航海を軸に、そのあいまに現地の女性と親しくなってデートする様とか、彼に連絡仕官として仕えるオーストラリア軍少佐の家庭の模様とか、そういうありふれた話が淡々と描かれてゆく。
 世界が滅びようとしていることを除けば、その描写は普通小説となんらかわらない。物資が不足していて、人々が自動車をあきらめて牛馬に頼るような生活を強いられているために、かえって前時代っぽい雰囲気さえある。
 なんでも二度にわたって映画化されているそうだけれど、もしもこの内容がそのまま忠実に映像化されているとしたら、SF映画が観たくてこれを観てしまったときのコレジャナイ感ははんぱないだろうなと思う。
 世界の終わりを描いた話がどれだけあるのかは知らないけれど、この手の作品のクライマックスはその絶対絶命な状況がいかに解決されるかというところにあるのではないかと思っている。
 さて、ではこの小説ではどういう形で人類を救ってみせるのか――。
 ネタばれになってしまうから書かないけれど、そこには僕の予想を大きく裏切る結末が待っていた。いやはや、まいった。降参です。もうなんにもいえねぇ。
(Apr. 07, 2019)

最後の将軍

司馬遼太郎/文春文庫/Kindle

最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫)

 平成最後の読書感想文は、徳川幕府の最後の将軍、徳川慶喜を描いた司馬遼太郎の長編。新一万円札の顔に決まった渋沢栄一も出てくるし、図らずしてなにかとタイムリーな感のある一冊だった。
 司馬遼太郎というと文庫何冊にも及ぶ大長編の印象が強いので、こういう一巻モノはすべて『酔って候』のような短編集のように思いこんでいたけれど、これは一冊のみでおしまいの、ふつうの長さの長編だった。でも作者自身が短編のつもりで書き始めたら一回では終わらず、結局文庫一冊分まで膨らんでしまったというようなことを書いているので、あたらずとも遠からず。
 司馬先生の描く徳川慶喜は、非凡な才能に恵まれながらも、天下への野心を欠いているがゆえに激動の時代に翻弄される人物。朝敵として歴史に悪名を残すのを恐れるがゆえに、周囲の期待を裏切るのをなんとも思わずに、大政奉還をあたりまえのように受け入れる。理詰めの性格で周囲との不和を気にも留めない。マイペースのきわみのような人物。自らのカリスマ性にまったく無頓着なところがおもしろい。
 徳川の看板を誇るどころか、かえって迷惑に思うようなそのキャラクターは、ある意味とても現代的な価値観の持ち主のように思えた。
(Apr. 30, 2019)