ヨルシカのサード・アルバム『盗作』の初回限定盤についてくるハードカバー仕様のボックスにn-buna(ナブナ)が書き下ろした同名の中編小説。音楽については後日語るつもりだけれど、ひとまず先に小説について取り上げておきます。
ナブナがこの作品の主人公として描いているのはひとりの音楽家。来たるべき国際祭典(オリンピック?)のメインテーマの作曲を任されているという話なので、かなりの大家といっていいと思う。
なのに彼は自らの音楽はすべて盗作であるとのたまう。それが単なる比喩かと思っていると、現実的にも後ろ暗い過去があったりする。そんな主人公が自らの音楽観とそれを育むにいたった半生を、インタビュアーに対して赤裸々に語ってきかせる――その告白を一人称で記して見せた部分が、この作品のひとつめの柱。
一人称が「俺」であることもあって、主人公の独白部分にはハードボイルド小説のようなテイストがある。まあ、心情吐露しないのがハードボイルドだとするならば、自らの心の中の毒を吐き出しまくるその告白をハードボイルドと呼ぶのは間違いなんだろうけれど。でも感触的には極めて近いものがあると(少なくとも僕は)思った。
心の空白を埋めるために音楽のみならずあらゆる創作行為に没頭してきたと語る主人公の姿には、作品至上主義者にして厭世家であるナブナ自身の思いが投影されているのは間違いない。彼の虚無的かつ露悪的な告白は、そのまんまナブナの作る音楽にもつながる。
ということで主人公の告白にはナブナらしい排他的な思想性がたっぷりのこの小説。
それでいて苦味ばかりに終始したりはしないところが彼らしい。
ナブナの音楽がつねに厭世観と対となる美しい抒情性を兼ね備えているように、この小説にはもうひとつ、主人公とひとりの小学生の男の子との交流を描くハートウォーミングなエピソードが盛り込まれている。
厭世家の主人公が、孤独な男の子に――基本的にはつれない態度をとりながら――少しずつ情を移してゆく。そして短いつきあいの最後にほんの少しだけ救われる。世俗にまみれた露悪家が少年性の無垢と対峙して、ほんの一瞬だけ放心する――夏の匂いがするなかで。とても美しい結末だと思う。
内面の葛藤を隠したまま、そちらのエピソードだけをもっと深く掘り下げて描けば、万人受けする感動的な小説に仕上がりそうなのに、そうはしない(できない?)ところがこの人らしい。
とにかくミュージシャンが片手間で書いたにしては、十分すぎる出来映えの小説だと思う。
あと、この作品ですごいのが商品としてのパッケージング。
この小説のブックレットは布張りのぶあついハードカバー仕様で、冒頭にCD収録曲の歌詞があり、そのあとが小説という構成になっている。で、それだけでは全ページの半分足らず。
残りのページはなにかというと、白紙の厚紙の真ん中を四角くくりぬいた隠し穴になっていて、その中に白いカセットテープが入っている。テープのレーベルには手書きで「月光ソナタ」と書いてあるから、作品のなかで小学生が弾くベートーベンの『月光』が録音されているのだと思う(封を切るのがもったいなくて聴いてません)。
小説のなかには主人公が手なぐさみで本をくりぬいた抽象作品を作ったというくだりがある。つまりこのハードカバーは小説の中のアイテムを具象化したものなわけだ。主人公が少年のピアノを録音したカセットテープもしかり。そして当然のように楽曲においても、この作品とリンクした歌詞があちこちにある。
つまりこれは音楽と小説とハードカバーとカセットテープ、すべてが有機的に意味を持って作品の世界観を補完しあっているという、稀有な作品なのだった。
こんなこと、やろうと思ったって、なかなかやれることじゃない。
n-buna、おそるべし、である。
(Aug. 15, 2020)