2022年1月の本

Index

  1. 『デューン 砂の惑星』 フランク・ハーバート
  2. 『悪童日記』 アゴタ・クリストフ
  3. 『京極夏彦講演集「おばけ」と「ことば」のあやしいはなし』 京極夏彦
  4. 『私たち異者は』 スティーヴン・ミルハウザー
  5. 『カリブ海の秘密』 アガサ・クリスティー

デューン 砂の惑星

フランク・ハーバート/酒井昭信・訳/ハヤカワ文庫(全三巻)

デューン 砂の惑星〔新訳版〕 (上) (ハヤカワ文庫SF) デューン 砂の惑星〔新訳版〕 (中) (ハヤカワ文庫SF) デューン 砂の惑星〔新訳版〕 (下) (ハヤカワ文庫SF)

 ティモシー・シャラメ主演の映画リメイク版が好評なので、今年中には配信が始まるだろうその映画を観る前に、やっぱ原作を読んどかなきゃいけなかろうってことで読むことにしたSF小説の金字塔。学生時代から気にかかっていた作品なので(何十年前の話だ)、ようやく読めてよかった。
 いやしかし、これは噂にたがわぬ傑作だった。
 一編の小説として、その世界観が破格。SF小説には違いないけれど、どちらかというと、歴史小説か宗教小説と呼んだほうがふさわしいのではと思わせる奥行きがある。近未来的というよりは、むしろ原始的な力強さがある。架空の砂の惑星を創造して、その地に伝わる救世主伝説がいかにして実現したかを描き出してみせたフランク・ハーバートという人の筆力にはひたすら脱帽するしかない。
 物語の主人公は惑星カラダンを統治するアトレイデス公爵家のひとり息子ポール。彼の父レト公爵が皇帝より(懲罰的な意味で?)砂漠の惑星アラキスの移転を命じられ、その引っ越しの準備をしているという設定でこの小説は始まる。でもって、ひと通りの登場人物紹介をへて、いざその惑星に到着してさて……というところから怒涛の展開をみせる。
 どうなるかは詳しく書かないけれど、その結果なにひとつ不自由なく暮らしていたはずの主人公は母親とふたりきりで砂漠に放り出され、過酷なサバイバル生活を余儀なくされることになる。
 陰謀に巻き込まれて王家より放逐されるプリンスの話は西洋では定番なのかもしれないけれど、ポールほど非情な運命に見舞われた王子はそう多くないのではないでしょうか。なんたって放り出された先は超巨大な虫が襲いくる、水一滴ない不毛な砂漠の地なのだから。
 彼はいかにしてその砂漠を生き延び、その地に伝わる救世主伝説の主役となってゆくのか――。説明的な序盤はやや盛り上がりに欠けるけれど、いったん事件が起こってからはもう目が離せない。
 読んでいてすごいなと思ったのは、物語における登場人物たちへの無情さ。序盤に主人公ポールの取り巻きとして紹介されたキャラクターたちが、惑星アラキスに到着した途端に、これといった見せ場もなしにばったばったと倒れてゆく。まさに諸行無常の響きあり。その徹底した無常観もこの小説を特別なものにしている一因だと思う。
 ムアッディプとか、ベネ・ゲゼリットとか、ハルコンネンとか、どうにも覚えにくいカタカナ言葉がたくさん出てくるのには最後まで慣れなかったけれど、とりあえず惑星アラキスの喉がからからになりそうなハードボイルドな世界観は堪能できた。
 物語のスケールが大きすぎて、文庫本・全三巻というボリュームにもかかわらず、語り切れずにあえて省いた余白部分がたくさんあるのもすごい。語られなかった部分が多いがゆえに、読み終えてなお不完全燃焼な気分が残った感がなきにしもあらずだけれど、でもそれはこの作品の持つ豊饒さの証でもあると思う。未知の部分があるからこその神秘性だ。救世主の誕生を描くこの小説にはその余白の多さもまたふさわしい。
 唯一残念なのは続編がいまや絶版なこと。新訳版での刊行期待してます。
(Jan. 09, 2022)

悪童日記

アゴタ・クリストフ/堀茂樹訳/早川書房/Kindle

悪童日記

 Kindle版が安くなっていたので、二十年ぶりに再読したハンガリー出身の女性作家アゴタ・クリストフの鮮烈なデビュー作。
 戦時下にある東欧某国の国境近くの小さな町で祖母とともに暮らす双子の少年の日常を彼らの手記という形で綴ったこの作品は、とにかくその文体がすごい。初めて読んだときには本当に驚いた。こんなに簡素な言葉だけでこんなに鮮烈な小説が書けるのかと。
 解説でも引用されているけれど、作者はその文体について『ぼくらの学習』と題した序盤の章で、少年たちの言葉を借りて次のように説明している。

 たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「人びとはおばあちゃんを<魔女>と呼ぶ」と書くことは許されている。
「<小さな町>は美しい」と書くことは禁じられている。なぜなら、<小さな町>は、ぼくらの目に美しく映り、それでいてほかの誰かの目には醜く映るのかもしれないから。
 同じように、もしぼくらが「従卒は親切だ」と書けば、それは一個の真実ではない。というのは、もしかすると従卒に、ぼくらの知らない意地悪な面があるのかもしれないからだ。だから、ぼくらは単に、「従卒はぼくらに毛布をくれる」と書く。
 (中略)
 感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。
(ハヤカワepi文庫 p.42~43)

 これはある意味、ハードボイルドとはなんたるかという極めつけの説明と言えるんじゃないかと思う。この小説の成功は作者が自らに課したこの方針を貫き通したシンプルな文体に負うところが大きい。少年たちの特異な人物造形が無駄のないその文章よりより一層引き立っている。
 少年たちは自らの弱さを克服するための鍛錬を怠らない。心身ともにお互いを痛めつけ、その痛みを乗り越えようとする。そうしたストイックさをもつ一方で、生きてゆくために必要な悪をも厭わない。盗み、ゆすり、そして殺人。戦時下の無情な世界に生きる非情なる双子たちは、イノセントな小悪魔とでも呼びたくなるような特別な存在感を放っている。
 今回再読して意外に思ったのは、予想外にセクシャルな記述が多かったこと(ぜんぜん覚えてなかった)。それも少年たちを対象にした小児性愛的なものを多数含む。
 現代社会ではタブーとされている大人たちからのそうした扱いを、少年たちはとくに嫌がりもせずに淡々と受け入れる。いかなる形であれ、相手がたとえ嫌われ者であれ、彼らを求める人たちの存在を少年たちは拒まない。その一方で彼らを見捨てた母親や父親は、血のつながりなど無視して、ためらいもなく切り捨てる。
 現代人の感覚からすれば異常なはずのそんな彼らの行動が、嫌悪感を呼ぶどころか、この上なく清々しく感じられるこの不思議――。
 今回再読してみて、やはりこれはたぐいまれなる小説だと思った。
(Jan. 11, 2022)

京極夏彦講演集「おばけ」と「ことば」のあやしいはなし

京極夏彦/文藝春秋

京極夏彦講演集 「おばけ」と「ことば」のあやしいはなし

 京極夏彦が日本津々浦々で行った講演を書き起こした本。
 全部で九本の講演が収録されていて、どれも基本的には妖怪についての話だけれど、呼ばれた場所が様々なので、そのおいおいでテーマは微妙に違っている。
 うち二本は師匠の水木しげる先生についてで、そのほかに柳田國男と遠野物語について話したものが一本、河鍋暁斎についてが一本、残りが日本語や本についての話となっている。つまり過半数は『「おばけ」と「ことば」のあやしいはなし』なわけで、まさしくタイトル通り、その名に偽りなしって内容だった。
 京極氏には『妖怪の理 妖怪の檻』と『妖怪の宴 妖怪の匣』という「妖怪とはなんぞや」について語ったエッセイ集――それとも評論集? はたまた論文集?――が二冊あって、両方合わせると文庫本にして一千ページ近いボリュームなので、この本の内容にはそれらとかぶる部分も少なくない気がする。あの二冊で語り切れなかった枝葉の部分を深掘りしたような一冊という感じ。
 まぁ、僕個人はとくに妖怪が好きというわけでもないので(あくまで京極夏彦という人のファンなのです)、申し訳ないけれど、まだ読み終えて一週間ほどだというのに、どんなことが書いてあったか、すでにほとんど忘れてしまっている。どんだけいい加減に読んでいるんだか。
 とりあえず、ご本人が「お読みになったら、お忘れください」とお書きになっているので、その通りになりましたってことでご勘弁願いたいと思います。
 いやしかし、京極さんは人前で話すことが得手ではないというようなことを冒頭で書いてらっしゃるけれど、これだけのことを語れる人が人前で話すのが不得手だとしたら、僕なんて日本語が話せないも同然だ。
(Jan. 17, 2022)

私たち異者は

スティーヴン・ミルハウザー/柴田元幸・訳/白水社

私たち異者は

 スティーヴン・ミルハウザーの作品も、短編集については最新刊の『夜の声』でついに全作品翻訳が出そろったらしい。これを含めて残りは三冊。この本は2011年に刊行された同名のアンソロジーから、表題作を含む新作だけを収録した日本独自編集の短編集とのこと。
 で、これがまたおもしろい。なんたって一編目からしてふるっている。その名も『平手打ち』。
 なにそのぶっきらぼうなタイトル?――と思ったら、内容はそのままだった。とある町にいきなり見知らぬ人の面前にあらわれ、平手打ちして去ってゆくトレンチコートの男が現れ、その意図をめぐって人々が騒然とするという話。
 平手打ちだって暴力には違いないのだけれど、命にかかわるわけでもなく、傷が残るわけでもない。そこにはただ肉体的なショックと不快感が残るだけだ。大騒ぎするほどのことではないと言えばいえなくもない。
 でも犯行の意図がわからず、いつ自分が被害者になるかわからない状態は町全体を不安な気分に陥らせる。でもって読者もそのいやぁな感じを追体験させられる。このささやかながらも確実な不快感がいかにもミルハウザーらしい。
 これ以外にも高校生カップルの仲が彼女の手袋のせいで破綻してしまう『闇と未知の物語集、第十四巻「白い手袋」』――単発なのに「物語集」とうそぶくあたりもミルハウザー印――、ある町が巨大地下ショッピングモールのせいで変容してゆく『The Next Thing』、独特の視点から語られる幽霊譚『私たち異者は』と、この本に収録された短編のうち長めのものはとても印象的な作品ばかりだ。心の奥に不穏なささ波をかきたててやまない。
 その他の短めの作品三編のなかには、ひとつだけ偏執的な書きっぷりが好きになれない作品があったものの、それ以外の作品はおもしろかった。やはりミルハウザーの短編集にははずれなしと思わせた一冊。
 『私たち異者は』の原題は『We Others』で(そのまんまだった)、そういや『アザーズ』って映画が幽霊の話だったのを思い出した。"others"という英単語には「あっち側」という意味であの世を表す用法があるんですかね。よくわからない。
(Jan. 26, 2022)

カリブ海の秘密

アガサ・クリスティー/永井淳・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

カリブ海の秘密 (クリスティー文庫)

 ミス・マープルがカリブの島で殺人事件を解決する話。
 叔母想いの甥レイモンドに西インド諸島――ってカリブ海のあたりなのか!(インドの西だと思ってました)――でのバカンスをプレゼントされたマープルさん。
 甥の親切には感謝しつつも、知り合いがひとりもいない常夏の島に退屈して、手持ちぶさたな毎日を滞在先のホテルの宿泊客や支配人夫婦とのおしゃべりで紛らわして過ごしていたところへ事件が持ち上がる。
 長話で周囲から疎ましがられている退役軍人のおじさんの話をマープルさんが聞くともなく聞いていると、その人が「私は殺人犯の写真を持っているですよ」と一枚の写真を取り出してみせた。
 ところがマープルさんはその写真を見ることができない。彼は突然顔色をかえて写真をしまい込み、話をごまかしてしまったから。
 はて、どうしたのかしら?――とマープルさんがいぶかしんだその翌日。
 その少佐が突然死を遂げる。
 医者の診断は自然死だという。でも彼女にはそれが信じられない。
 策をこらして問題の写真が紛失していることを突き止めた彼女は確信する。
 少佐はあの写真に写っていた人に殺されたんだわと。
 さて、人っ子ひとり知り合いのいない南の島、アウェイの異国の土地で、ミス・マープルはいかにしてこの事件の謎を解きあかして見せるのか――。
 というこの作品だけれど、ミステリとしての出来はいまいちだと思った。少なくても序盤の展開で、僕には犯人の見当がついてしまったから。この人が犯人じゃなかったらすごいのに――と思っていたら、やはりその人がそのまま犯人だったという。
 でも、だからこの作品がつまらなかったかというと、そんなことなし。今回はなんたってバカンス中のミス・マープルの滞在先で事件が起こるので、ほかにやることもないマープルさんは事件にかかわりっぱなしだから。こんなにミス・マープルの出番が多い作品はこれまでなかったのではと思う。物語はつねにミス・マープルを中心に展開する。その点がこの作品のなによりの魅力だ。
 なかでもマープルさんが傲慢な車椅子のいじわる爺さん風大富豪となかよくなって、一緒に事件の解決に乗り出すという展開がとてもよいです。
 みごと事件を解決したマープルさんがホテルで知り合った人たちに温かく見送られて島をあとにするラストシーンがまたよし。
(Jan. 26, 2022)