2022年2月の本

Index

  1. 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』 ジュノ・ディアス
  2. 『地下室の手記』 ドストエフスキー

オスカー・ワオの短く凄まじい人生

ジュノ・ディアス/都甲幸治・久保尚美・訳/新潮クレスト・ブックス

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

 アメリカのオタク青年を主人公にしたこの小説、ポップな装丁に油断して読み始めると予想外の読みごたえに痛い目にあう。
 そもそも僕の勝手な思い込みかもしれないけれど、オタクと呼ばれる人たちは好きなものに没頭するあまり視野が狭くなりがちなものだと思う。愛するモノに徹底的に集中するあまり、それ以外のもとには無関心。結果、人間関係が狭くなり、話題も偏り、女の子にもてない。
 だからアメリカのオタクを描いたというこの小説も、そういう風な偏り方をして、趣味の世界にこだわったマニアックな作品なのかと思っていた。それこそ音楽とサッカーがすべてというUKオタクを主人公にしたニック・ホーンビィの『僕のプレミア・ライフ』のアニメおたく版みたいなのを想像していた。
 そういう意味でいうならば、主人公のオスカーの人物造形はそう間違っていない。『指輪物語』や『デューン』を数えきれないくらい読み返す、百キロを超える肥満漢のSFファンタジーおたく。とうぜん女の子にはもてない。
 でもそんな人物を主人公に据えながら、この小説は彼の趣味の世界に埋没することなく、章を改めるごとにその視野を広げてゆく。
 第二章ではいきなりオスカーの姉ロラのことが語られたと思ったら、第三章では彼らの母親が生い立ちが、第二部では彼らの祖父の過去が描かれる。ここまでくると、そもそもオスカーを主人公と呼ぶのが正しいのかさえもわからない。そもそも半分くらい読むまで語り手が誰なのかもわからない。
 そう、この小説は単なるアメリカ版おたく青年の私小説などではなく、オスカーというひとりの不幸な青年をこの世に生み出したドミニカ系移民の一家の三世代にわたる年代記なのだった。
 作者のジュノ・ディアスもきっとおたく気質の持ち主なのだろうけれど、彼には僕が思っていたようなオタク的な視野の狭さはまったくない。
 彼には自らの出自であるドミニカの文化や社会に対する深い洞察があり、その国の文化を引き継いでアメリカで生きるドミニカ系移民の子孫としての深い矜持がある。本作品の全編にわたって横糸のように編み込まれたドミニクの独裁者トルヒーヨに関する言及の数々が、そのことをなによりもよく表している。
 まぁ、そんな風に書くと硬派な作品のように思われてしまうかもしれないけれど、決してそんなことなし。とても噛み応えのある小説ではあるけれど、なにしろドミニカ人は女好きで性的に奔放な民族なのだそうで、全編にわたってセックス絡みの下ネタが雨あられ。そんな国の末裔として生まれたにもかかわらず、女の子と縁のないまま年を重ねてゆくオスカーの孤独さときた日には……。
 いやはや、素晴らしい小説でした。
 ジュノ・ディアスは僕より二つ年下。同世代にこんな素晴らしい小説が書ける小説家がいると知れて、とても励みになった。最初から興味があったのに、翻訳が出てから十年も放ってあったのが間違い。もっとはやく読んでおけばよかった。
(Feb. 21, 2022)

地下室の手記

ドストエフスキー/安岡治子・訳/光文社古典新訳文庫

地下室の手記 (光文社古典新訳文庫)

 《光文社古典新訳文庫》は古典の新訳というコンセプトも表紙のゆるいデザインも好きなので、できるかぎり紙で読みたいと思っているのだけれど、Kindle版でそれほど興味のない作品が半額とかになっていたもので、つい何冊か買ってしまった。これはそのうちの一冊。
 ドストエフスキーの作品のなかでも、もっともタイトルが印象的でボリューム的にも手に取りやすい作品なので、もしかしたら過去に読んだことあるのに忘れているだけかもと思ったのだけれど、読んでみて、いやいや、そんなことはないなと確信した。
 いやだって、これは一度読んだら忘れないよね?
 なにこれ? ものすごく嫌なんだけど。
 そのものずばりな京極夏彦の『厭な小説』とか、文庫本アンソロジーの『厭な物語』よりも、僕にはこの小説のほうがよほど厭だった。
 厭世家の引きこもり男がぐずぐず言っているだけの第一部はまだともかく、彼が好きでもない友人のもとを訪れて、見栄を張って参加したくもない送別会に列席し、学友や娼婦を相手に赤っ恥をさらす第二部がたまらない。痛々しすぎて、ひたすら居たたまれない。珍しく途中で読むのをやめたくなったくらい。
 虚栄心ばかり強いあまのじゃく男の、赤面ものの愚痴と愚行を、これでもかという筆致で刻みつけたこの作品。――その書きっぷりには感心してしまうけれど、とてもじゃないけれど好きにはなれなかった。よくもこんなものを書いたもんだと思う。ドストエフスキー、おそロシヤ(おやじギャグ)。
 ということで、そのあまりのインパクトにこりゃすごいや――というか、ひどいや――こんな本一度読んだら絶対に忘れないだろうよと思って、念のためにと我が家の本棚を見てみたら。あらら。
 ちゃんと本棚のドストエフスキーのコーナーに新潮文庫版が並んでました。
 あぁ、過去に読んでるんじゃん、俺……。
 なぜ覚えてない?――と忘れている自分にあきれるばかりだけれど、でもこの内容では若いころの自分がまったく感銘を受けず、記憶に残らなかったのも仕方ないかもしれないと思ったりもする。
 いやだ嫌だも好きのうち――じゃないけれど、この小説の過剰なまでの救われなさにある種の感銘を受けている部分がなきにしもあらずなのは、さんざんいろんな本を読んできて、自分でもある程度の文章を書いてきたいまだからこそなんだろう。
(Feb. 22, 2022)