2022年3月の本

Index

  1. 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』 ジョナサン・サフラン・フォア
  2. 『地下鉄道』 コルソン・ホワイトヘッド
  3. 『明治十手架』 山田風太郎

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

ジョナサン・サフラン・フォア/近藤隆文・訳/NHK出版

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

 これも先月読んだ『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』と同じ2011年に刊行されたアメリカ文学の翻訳作品。でもって主人公の名前もたまたま同じオスカー。
 ただ、こちらのオスカーくんは九歳の男の子。大変早熟でませた口をきく(ある種の天才少年?)。彼は同時多発テロ事件で父親を亡くしていて、そのショックからいまだ立ち直れずにいる。
 そんな彼がある日、父親の持ち物のなかから謎の鍵を見つける。鍵が入っていた封筒には「ブラック」という文字。それが鍵の秘密を知る関係者のラストネームだとあたりをつけた彼は、鍵がなにを開けるためのものかを突き止めなきゃならないと心に決めて、ニューヨーク中のブラックさんたちを訪ねて歩く決意をするのだった。――その数二百十六軒。
 まぁ、そんなことあるかいって話ではあるんだけれど、少年のエキセントリックなキャラクター設定からしてある種のファンタジーっぽさがあるし、彼が出会う大人たちは軒並み善人ばかりだし、これは心に傷を負った少年の癒しを描いたある種の寓話として楽しむべき作品なのではという気がした。とてもよいです。
 この小説がすごいのは、そんな少年の寓話的な冒険譚と並行して、第二次大戦時にドレスデン大空襲を経験した彼の祖父母のドラマをもうひとつの軸として描いている点。イノセントでコミカルなオスカー少年の物語とは対照的に、そちらは痛々しくてセクシャルだ。オスカーの話だけだと甘くなりすぎてしまいそうなところに、祖父母の過酷な人生を並列してみせた、そのバランス感覚が見事。
 さらにはヴィジュアル・ライティングというやつで、文章の見せ方にもたくさんのアイディアが施されている。行間が徐々に詰まっていって、最後には活字が重なり合って真っ黒になってしまうページがあったり、校正の赤ペンが入っているページがあったり。一ページに一行だけしか文章がないページがつづいたり。物語のなかに出てくる写真もたくさんインサートされていて、最後はパラパラ漫画のようになっていたりする。
 ということで、小説としてだけでも十分すぎるくらいの出来なのに、さらにはそこに小説だからこそ可能なヴィジュアル面での創意工夫まで加わっているという。小説という表現形式の可能性をどこまで広げられるか、考え抜いた末に生まれてきたような素晴らしい作品。この内容ならば映画化されたのも当然だ。そちらもぜひ観たくなった。
 そうそう、作者のジョナサン・サフラン・フォアの奥さんが『ヒストリー・オブ・ラヴ』のニコール・クラウスだってのもびっくり。なにその夫婦。すごすぎる。
(Mar. 07, 2022)

地下鉄道

コルソン・ホワイトヘッド/谷崎由依・訳/ハヤカワepi文庫

地下鉄道 (ハヤカワepi文庫)

 基本的に英米文学作品はできるかぎり単行本で読むことにしている。
 よい作品は単行本で持っていたいという気持ちがあるし、なかには文庫で読んで感動して、あとから単行本で買いなおした作品もあるので、だったら最初から単行本で買ったほうがよかろうと思うようになった。
 ということで、単行本の刊行当時から評判だったこの作品も当初は単行本で読むつもりでいたのだけれど、いずれ読もうと思いつつ買わずにいたら文庫版が出てしまい、それが愛着のあるハヤカワepi文庫だったり、どちらかというと文庫版の装丁のほうが好みだったりしたので、悩んだあげくに文庫本を購入した。
 で、読んでみて感動のあまり単行本を買わなかったことを後悔した――とかいうと話かというと、残念ながらそんなことなし。僕にとってこれは文庫本でちょうどいいかなと思うタイプの作品だった。奴隷制という重いテーマをトリッキーな着想でダイナミックな物語として描いたこの小説には、単行本のレトロな装丁よりも、文庫版のポップなイラストのほうがあっている気がする。
 タイトルの『地下鉄道』は十九世紀のアメリカにあった黒人奴隷を解放するための秘密結社の通称。
 奴隷制が認められていた当時のアメリカ社会においては、奴隷の逃亡幇助は所有者の財産を奪う犯罪だから、奴隷を救おうとする人たちは(比喩的な意味で)地下に潜らざるを得ない。また広大なアメリカの地で、南部から北部へと黒人たちを逃がすとなると、逃亡経路となる各地域ごとの連携が欠かせない。
 ということで、黒人奴隷に自由を与えるために、そうやって草の根的に張り巡らされたネットワークの通称がこの小説のタイトルである『地下鉄道』ことアンダーグラウンド・レイルロード。もちろん鉄道とはあくまで例えであって、実際に電車や汽車が走っていたわけではない。
 ――なのに。
 作者のコルソン・ホワイトヘッドは、この小説のなかで地下を走る汽車が本当にあったことにしてみせた。それがこの作品の最大のギミック。
 ばかな僕は、もしかして自分が知らないだけで本当に鉄道が走っていたのかと思ってしまったけれど、そんなことあるわきゃない。調べてみたら世界で初めて地下鉄が開業したのは、1863年のロンドンだそうだ。ちょうどアメリカが南北戦争をしていたのと同じ時期。つまりこの小説で描かれる南北戦争以前の時代には、世界中のどこを探したって地下鉄というもの自体が存在しない。
 ということで、十九世紀初頭のアメリカ南部を舞台に、生まれ故郷のジョージアをあとにして、波乱の逃亡生活を送ることになったひとりの黒人女性の過酷な運命を描いたこの作品は、存在しなかった架空の地下鉄道を描いたことによって、黒人文学という規制の枠からはみ出して、ある種のSF小説としても評価されることになった。
 とはいっても、この作品には、いわゆるSFらしさは皆無。地下を走るのは、銀河鉄道999のような格好いい列車ではない。その時代にすでにあった蒸気機関車やトロッコだけだ。単にそれが実際にはあり得ない地下を走っているという設定があるだけ。それをサイエンス・フィクションと呼ぶのがふさわしいかはいささか疑問ではある。
 ただ、地下鉄というフィクションの導入による移動速度の速さが物語に大いなるドライブ感とエンターテイメント性を与えているのは確かなところだ。
 徒歩ならば大きな時間の浪費と危険を伴う土地から土地への移動が、鉄道によってあっという間に果たされる。生まれ故郷の奴隷荘園から逃げ出した主人公のコーラは、目的地もわからぬまま飛び乗った列車により、何度も窮地から救われることになる。
 コーラが九死に一生を得るような経験をしている一方で、彼女の逃亡にかかわったまわりの人たちがことごとく悲惨な運命にあってしまうのも、この小説の特徴的な点。
 普通ならばコーラの恋人役として活躍しそうな黒人男性や、彼女を助けた善良な白人たちが無情にも次々と命を落としてゆく。奴隷制から逃げ出そうとした人、人種差別と戦おうとした人たちのゆくてには、すべからく悲劇が待ち受けている。
 ただひとりの黒人女性に自由を与えるにはどれだけ多くの犠牲が必要なのか――。
 あえて主人公以外は救わないことで、この作品は奴隷制度――のみならずその根底にある白人至上主義や女性差別――というものの残酷さを克明に描き出そうとしているかのようだった。
(Mar. 21, 2022)

明治十手架(山田風太郎明治小説全集十三、十四)

山田風太郎/ちくま文庫(全二巻)

明治十手架〈上〉―山田風太郎明治小説全集〈13〉 (ちくま文庫) 明治十手架〈下〉―山田風太郎明治小説全集〈14〉 (ちくま文庫)

 ちくま文庫版・山田風太郎明治小説全集の最後の二冊。
 調べてみたら第一巻の『警視庁草紙』を読んだのが2003年のことだから、全巻読み終えるのに足かけ二十年もかかってしまったことになる。第三巻の『幻燈辻馬車』から数えてもちょうど十年。たった十四冊の文庫本を読むのにかかる年数じゃない。われながら、いったいなにをしているんやら。
 明治小説全集のとりを飾るこの作品、それだけあいだをあけて散発的に読んでいるわけだから、なかなか他の作品との比較は難しいところだけれど、単純におもしろさという点においてはこのシリーズ屈指ではないかと思った。
 主人公を務めるのは『地の果ての獄』にも出てきた原胤明{はらたねあき}で、あちらは教誨師としてすでにキャリアを積んだあとの話だったけれど、こちらは江戸幕府の与力を務めていた若いころの話。彼が明治維新以降、いかにしてキリスト教の教誨師になりしかを、山田風太郎ならではの豊かな想像力を駆使して描いてゆく。
 タイトルは『明治十字架』かと思ったら、ちと違う。
 「十字架」ではなく「十手架」(読みは「じってか」)。時代劇で岡っ引きや与力が持っている十手{じゅって}。あれに十字架の「架」をつけた造語で、原胤明の使っている十手が(物語の途中で)鉤が欠けて十字架のような形になることと、ヒロインがキリスト教徒の美女であることから、このようなタイトルがついている。
 以下はネタばれになってしまうけれど(ネタばれして読んでも十分におもしろいから問題なしということで……)、前半で原と敵対する悪徳警官ら五人と前科者五人の人どなりを描いてゆき、後半でクライマックスとしてその両者の対決を描くという、そのまんま忍法帖に通じるトーナメント形式がこの作品の最大の特徴であり読みどころだ。
 途中までは原胤明に反感を抱いて、彼の想い人である清純なヒロインを犯してやろうかという勢いだった前科者グループが、終盤で彼女の穢れなき善良さに感化されて原を守る側にまわり、悪徳警官らと刺し違えて次々と命を落としてゆくという展開には『風来忍法帖』に近いものがある。これぞ山田風太郎という出来映えの快作。
 併録されている『明治かげろう俥』はロシア皇太子が襲われた大津事件がきっかけで人生が変わったふたりの車夫を主人公にした中編で、これまた素晴らしい出来。百六十ページ足らずのなかに天才ストーリーテラー山田風太郎ならではのうまみがぎゅっと凝縮されている。
 最後の短編『黄色い下宿人』は意表をついた設定のホームズもののパスティーシュだけれど、これは少なからずシャーロキアンの不評を買いそうな気がする。でも着想自体はさすがのひとこと。
 ということで、これにて山田風太郎明治小説全集も幕――のはずだったんだけれど、このままだと最初の『警視庁草紙』だけ感想がなくて据わりが悪いので、いずれその作品は再読して文章を書こうと思う。というわけであと一作だけつづく予定(でも本が見つからない可能性大)。
(Mar. 21, 2022)