2022年4月の本

Index

  1. 『インヴィジブル』 ポール・オースター
  2. 『復活の日』 小松左京
  3. 『フィルス』 アーヴィン・ウェルシュ
  4. 『地獄の楽しみ方 17歳の特別教室』 京極夏彦

インヴィジブル

ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮社

インヴィジブル

 このオースターの小説は、これまでの彼の作品の中でも、最大級の意外性に満ちていた。
 全四部からなる作品だけれど、まずはその一部ごとに物語が予想外のところに着地する。でもって次の一部に入るなり、また予想外の展開が待っている。そういうのが四回もつづく。そんな意表を突きまくりの作品だった。
 第一部では六十年代を舞台に、主人公のアダム・ウォーカーの人生を左右することになる大学時代のエピソードが語られる。たまたま知りあった他学部のフランス人教授から見初められた彼は「多額の遺産を相続したので、君を編集長にして雑誌を創刊させたい」みたいな申し出を受ける。でもってその教授の愛人とただならぬ関係になったりもする。
 一介の大学生が夢のような仕事とセックスを与えられ、雑誌編集者としてゼロから出発していかに成功するかを描くビルグンドゥスロマン?――かと思いきや、その章の終わりに突発的な事件が持ち上がり、主人公の冒険は始まる前に頓挫してしまう。
 そこまでをウォーカーによる一人称で描いたのが第一部。
 で、当然のようにそのつづきを期待して読み進めると、第二部ではいきなり語り手が変わって、時代設定も一気に二十一世紀に突入してしまう。
 とはいっても、べつの物語になるわけではなくて、一時的に語り手は変わりはするけれど、その理由を説明したあとで、物語はちゃんと第一部のつづきへと回帰する。ただし主人公と時系列が同じというだけで、中心になるエピソードは第一部とはまったく無関係。でもって第一部が1967年の「春」で、第二部が同じ年の「夏」の話であることが明かされる。
 となればこの小説は「春夏秋冬」を描いた全四部構成だろう……と思うのが自然な反応でしょう?
 ところがポール・オースターはそこでもまたこちらの予想を裏切ってみせる。
 さてどんな風に?――というのがこの小説の読みどころではと思うので、これ以上は書きません。すでにいろいろ余計なことを書いてしまった気がする。
 とにかくこの小説は一部ごとに舞台設定や文体を変えることで最後まで読者の予想を裏切りつづける、なんともトリッキーで技巧的な小説なのだった。
 こういう作品をものにできるのは、たぶん小説というものを熟知した作家ならではだよなぁと大いに感銘を受けました。
(Apr. 03, 2022)

復活の日

小松左京/角川文庫/Kindle

復活の日 (角川文庫)

 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』で主人公が大好きな映画として『復活の日』が取り上げられていたので、つられて読むことにしたその映画の原作にして小松左京の代表作。高校生の時以来、およそ四十年ぶりの再読。
 平井和正の『幻魔大戦』を再読した際には、その文体の文学臭の強さを意外に思ったものだけれど、小松左京はまたひとあじ違った。この人の文体は無味無臭という感じ。いかにも科学や哲学を軸足にしているんだろうなって思わせる、理知的でぶれや臭みのない文章を書く人だなと思った。
 ただ、失礼だけれど、そのせいもあって人物描写や会話が月並みでおもしろみに欠ける印象がある。
 この小説は基本的に群像劇だから、登場人物が多くて個々の人物造形の掘り下げが浅くならざるを得ないせいもあり、いまとなると人間ドラマの部分がいささか古びて感じられた。平井和正の場合はその文体がレトロな昭和っぽさとしてある種の魅力になっていたけれど、小松氏の場合はくせがない分だけ損をしている気がする。
 まぁ、でも小説としての着想と表現は文句なしに素晴らしいです。インターネットがない時代にきちんとした科学的な知識をもとにこれだけの小説を書いてみせたという事実が、小松左京という人の天才ぶりをよく表している。
 アメリカが極秘で培養していた宇宙伝来のウィルスがスパイ戦の果てに世界中に広がり、人類が滅亡の危機に立たされるというこの小説。新型コロナウィルスのパンデミックで実際に世界中が苦しんでいる今だからこそ、なおさらその凄さがよくわかる作品だった。
 文体が淡泊な分、史実に基づくドキュメンタリーを読んでいるみたいな臨場感があって、怖いくらいのところもあった。
(Apr. 03, 2022)

フィルス

アーヴィン・ウェルシュ/渡辺佐智江・訳/パルコ出版

フィルス

 アーヴィン・ウェルシュの小説はすべからく下品で露悪的だけれども、この作品はその極みではないかと思う。
 そもそもタイトルの『Filth』からして「汚物、不潔」という意味だし。イギリスでは警察のことを卑語でそう呼ぶとのことで――ひどい話だ――この小説の主人公はその名にふさわしい悪徳警官。
 この人がほんとひどい。昇格試験を受けようとしているくらいだから仕事はできるらしいのだけれど、モラルが欠如していて、同僚の奥さんと隠れて密通していたりするし(それも何人も)、事件で知り合ったティーンエイジャーの弱みにつけこんで、自分のものをしゃぶらせたりする。でもってコカインもやりまくり。正義の味方と呼ぶには程遠い。駄目男っぷりは『トレインスポッティング』のキャラといい勝負だけれど、基本的にアウトローだった彼らと違い、この人の場合は権力の側にいるからたちが悪い。
 でもって、この作品の場合、そんなクズ野郎な主人公の一人称で語られる口語文を、翻訳家の女性が「ばかだっつーのによ」みたいな感じで訳している。会話文だけならばともかく、地の文もその調子。スラングを連発する英語のラフな感じを出そうとしているのはわかるのだけれど、正直いってやりすぎな感があって、読んでいていまいち気持ちよくない。こんなしゃべりかたする警察官、さすがにいないでしょう?
 加えてところどころに雲形の吹き出しの中に「0」を羅列したようなグラフィカルな細工がしてあって、それが文章の上にかぶさって、話をなおさら見えなくしている。
 とにかく内容は下劣きわまりなく、文体はいまいち読みにくく、ところどころに意味不明なカットインがある。なにこの小説? アーヴィン・ウェルシュにしては珍しく、もしかして失敗作なんじゃないの? よくもこんな話が映画化までされたな――と思っていたんでしたが。
 やはりウェルシュはうまかった。後半になってあれこれの伏線が回収され、事情がわかるようになってくると――謎のインポーズがまさかあんなモノだったとは思わなかった――いつの間にか物語に引き込まれている僕がいた。
 まぁ、主人公に対するこいつやなやつだなぁというのは変わらないけれど、最後には予想外の展開が待っているし、さすがに読後感がいいって感じの作品ではないけれど、これはこれで一読の価値のある小説だと思った。
 ――まぁ、あくまで徹底的に露悪的なところと、ヤンキー高校生みたいな口語文を受け入れられれば――という限定つきだけれども。
(Apr. 23, 2022)

地獄の楽しみ方 17歳の特別教室

京谷夏彦/講談社

地獄の楽しみ方 17歳の特別教室 文庫版 地獄の楽しみ方 (講談社文庫)

 2019年に十五歳から十九歳の聴講者を集めて京極夏彦、高橋源一郎、瀬戸内寂聴らを講師として開かれた「17歳の特別教室」という講演を活字化したソフトカバーのシリーズ本。こういう本が出ていることを知らず、刊行後ずいぶんたってからネットで見つけた。
 で、京極夏彦の本は絵本以外はこれまですべて読んでいるはずだし、これもいちおう読んでおかないとなぁと思いつつ、装丁に惹かれなかったのでしばらく放置していて、去年ようやく入手したと思ったら、読まないうちに文庫化されてしまった。
 まさかこの手の本が文庫になるとは想定外。しまった、表紙もそっちの方がまだ好きだった。京極夏彦でもっとも薄い一冊という、変な価値もありそうだし。あぁ、文庫の発売まで待てばよかったと思うもあとの祭り。
 内容的にはこのあいだ読んだ講演集の『「おばけ」と「ことば」のあやしいはなし』と同じような内容。ただ、聴衆がティーンエイジャーなので、妖怪の話からは若干離れた内容になっている――気がした。すでに読み終えてから一ヵ月以上たっているのであまり自信はないけれど(面目もない)。
 おもしろかったのは「自分に勝つ」なんていうけれど、勝ってどうするですかね、自分に勝ったところで、負けるのは自分ですよね、みたいなことを語っている部分。ものごとを勝ち負けで判断するなという、スポーツ嫌いな京極夏彦氏らしい人生訓で、とてもらしくていいと思った。
 帯にも「たたかわないために。」とあるように、「地獄」のように生きにくいこの世の中で、いかに戦わずしていきてゆくか――それがおそらくこの本の主題。
 まぁ、そういうことを滔々と語る人の本を愛読する一方で、「男よ勝て!」とか「俺は負けない!」みたいなことばっかり歌っている宮本浩次の音楽を愛聴している俺って、ちょっと間違っているのではという気がしなくもない。
(Apr. 23, 2022)