2022年5月の本

Index

  1. 『路地裏の子供たち』 スチュアート・ダイベック
  2. 『バートラム・ホテルにて』 アガサ・クリスティー
  3. 『ラブラバ』 エルモア・レナード
  4. 『ベツレヘムの星』 アガサ・クリスティー

路地裏の子供たち

スチュアート・ダイベック/柴田元幸・訳/白水社

路地裏の子供たち

 シカゴ生まれの短編作家、スチュアート・ダイベックの処女短編集。
 これにつづく既読の二冊――『シカゴ育ち』と『僕はマゼランと旅した』――がとてもよかったので、当然これも気に入るものと決めつけていたら、残念ながらそうでもなかった。
 内容は『路地裏の子供たち』というタイトルをなるほどと思うようなもの。少年・少女を主人公にした短編が中心の、路地裏の暗がりで未知のなにかを覗き見てしまったような、非リアリスティックな感触を持った作品が多い。
 後続の短編集で感じさせたユーモアのセンスもまだ未発達な感じで、全体のトーンが暗め。若いころの過ちを笑い飛ばすのではなく、そこに潜んだ苦い思い出をすくいあげるような感触がある。要するにネガティヴな印象が強い。
 未熟な子供時代に誰もが味わうような、未知の世界と触れあうことへの不安感と、そこから生まれるリアリズムから離れた不気味な感触がこの作品集の読みどころなのかもしれないけれど、残念ながら僕はそこのところにいまいち惹かれなかった。おかげであまり書くことがない。
 まぁ、そもそもダイベックの過去の二冊についても、いまとなるとすっかり内容を忘れてしまっているので、いずれ三冊とおして読みなおしたら印象も変わるのかもしれない。長生きできたら老後の楽しみとしよう。
(May. 08, 2022)

バートラム・ホテルにて

アガサ・クリスティー/乾慎一郎・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

バートラム・ホテルにて (クリスティー文庫)

 年老いたミス・マープルが姪にロンドン旅行をプレゼントされるという、前作の『カリブ海の秘密』と同等のシチュエーションで始まるこの作品。
 前作でマープルさんをカリブの海に招待したのは甥のレイモンド・ウエストだったけれど、今回は姪で画家のジョーン・ウエストということになっている。
 この人はレイモンドの奥さんらしいのだけれど、この作品中には単にマープルさんの姪とあるだけで、二人の関係が明記されていないので、いささかその関係がわかりにくい。苗字は一緒だし、ふたりが会話するシーンがあるので夫婦なのかなとは思ったけれど、でも夫婦なんだとしたら、今回もレイモンドの招待ってことでよさそうな気がするのだけれど、なぜわざわざジョーンってことになってるんでしょう? フェミニズム的な視点だとその違いが大事だとか? どうでもいい細部だけれど、素朴な疑問。
 まぁ、なんにしろ姪のジョーンさんから費用は自分が持つからポーツマスにでも行楽にいったらと勧められたマープルさんは、ならば子供のころに泊まって感銘を受けたロンドンのバートラム・ホテルにもう一度行ってみたいと自ら申し出て、その昔ながらのイングランドを今にとどめる伝統的で豪華なホテルにしばし滞在することになる。
 ということで、当然のようにそのホテルでまた新たな殺人事件が起こる――のだろうと思って読み進めても、いつまでたっても起こらない。別の場所で起こった列車強盗事件のニュースがあったり、有名女優のスキャンダルを匂わせたりして、これらが事件につながるんだろうなと思わせはするけれど、人が殺される展開にはならない。
 ようやく事件っぽいことが起こるのはすでに全体の半分近くが過ぎてから。でもそれは脇役だと思っていた痴呆症気味の老牧師の失踪事件。でもってその事件がなにそれって展開をみせたあと、ようやく本題というべき殺人事件が起こるころには、全体の七割のページを使ってしまっている。しかもそれがまた残りわすかなページで意外な形であっさり謎解きされるという……。
 この作品に関しては、これまでのクリスティー作品――というかミステリ全般?――の定型から逸脱したこの歪な構造がすべてだと言ってしまいたい。
 古き良きイギリスをいまに留めるノスタルジックな豪華ホテルにて、いかにも現代風なドライで殺伐とした犯罪が行われ、ミス・マープルがその傍観者に甘んじるという。
 これは謎解きよりもそのシチュエーションこそが肝ではないかと思います。
 傑作とはいわないけれど、クリスティーの作品群にあって、ほかにはない独特の個性をもった異色の作品。
(May. 08, 2022)

ラブラバ

エルモア・レナード/田口俊樹・訳/ハヤカワ・ミステリ

ラブラバ〔新訳版〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 エルモア・レナードの代表作にして、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞も受賞しているというクライム・スリラー。
 早川書房が新訳版の刊行ににあたってわざわざ文庫版からポケミスに昇格させたくらいなので、さぞやおもしろいのだろうと楽しみにしていたのに、残念ながらそれほどでもなかった。
 タイトルの『ラブラバ』は主人公のラストネーム。語感からすると「ラブ・ラバ」というイメージだけれど、原題は『La Brava』なので「ラ・ブラバ」が正解。中点の位置でぜんぜん印象が違っておもしろい。
 主人公のジョー・ラブラバはかつて大統領夫人の護衛などをつとめたことのある元シートレット・サービスの捜査員で、現在はフリーランスのカメラマン。年の離れた友人モーリスが経営するホテルで暮らしている。
 彼がそのホテル・オーナーにつきそって、とある施設に保護された女性を助け出しにいってみると、その女性というのがなんと、彼が子供のころに憧れた映画女優のジーン・ショーだった。
 ラブラバはジーンとすぐに親しくなり、あっという間にベッドをともにする仲に……。でも彼女につきまとう怪しげな大男とキューバ人の二人組がいたことから、彼女をめぐってのトラブルが巻き起こる……というような話。
 ラブラバは惚れっぽくて女性にもモテて、でもって職業はカメラマンという、まるで『軽井沢シンドローム』の相沢耕平のようなキャラクター。もしかして耕平チャンのモデルなのかなと思ったりしたけど、たがみよしひさ氏は翻訳小説は嫌いだったはずなので、多分そんなことはないんだろう。
 ラブラバがジーンの大ファンで主演作はほとんど観ているといいつつ、じつは数本しか観たことがないらしいところが、些細なところながらユーモラスでよかった。決して笑える作品ではないけれど、シニカルなラストも含めて、そこはかとなくドライなユーモアを感じさせるところはいいと思った。
(May. 21, 2022)

ベツレヘムの星

アガサ・クリスティー/中村能三・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

ベツレヘムの星 (クリスティー文庫)

 アガサ・クリスティーの作品を刊行された順番に読んでゆく、という企画なのに読む順番を間違えた(通算二度目)。『バートラム・ホテルにて』よりこっちが先だった。
 ――とはいっても、ウィキペディアによればその差はわずか二週間だから誤差の範囲。
 この本はミステリではなく、キリスト教をテーマにした短篇と詩を収録した連作短編集。クリスマス向けの本だから、発売は当然その頃ということで『バートラム・ホテルにて』と同じ年の暮れに出たものらしい。
 オリジナルはイラストをあしらった八十ページたらずの本だったようで、イラストのないこの本も文庫版だとわずか百三十ページという薄さだったりする。
 つまりちゃんと読めば楽々一日で読み終わるくらいのボリューム――なんだけれど、昨今の僕の電子書籍事情だと、毎晩ふとんに入って読み始めて二、三ページで寝落ち……というのを繰り返しているので、そんな薄い本を読み切るのにも半月以上かかってしまった。
 収録作品に関しては、最初の表題作『ベツレヘムの星』がイエス・キリストが馬小屋で誕生した夜の話なので、そういう前時代的な聖書のエピソードがつづくのかと思っていると、二話目の主役はロバだし、三話目は厭世家の現代女性の話だしと、エピソードごとに時代設定も登場人物もまちまちなところに意表をつかれた。でもどの話にもイエス・キリストらしき人物が出てくるという。
 ただし、クリスティーはそれをはっきりと神様だとは書かない。そもそもその人の姿をまともに描写さえしない。その曖昧さから生じる神秘性がこの本の肝かなと。いつものクリスティーの作品とは違う、僕のような無信心者には馴染みのない本来的な意味でのクリスマス仕様の一冊。
 こういう本を書くほどクリスティーが信心深かったという事実が意外だった。
(May. 21, 2022)