マーティン・イーデン
ジャック・ロンドン/辻井栄滋・訳/エクス・リブリス・クラシックス/白水社
僕は不勉強なもので、ジャック・ロンドンという小説家について、その人となりや経歴をまったく知らない。この長編小説についても内容はまったく知らずに読み始めたのだけれど、それでも最初の二、三章を読んだ時点で思った。
――あぁ、これはきっと自伝的小説と呼ばれるタイプの作品なんだろうなと。
果たして日本での翻訳初出時には『ジャック・ロンドン自伝的物語』というタイトルだったという長編小説。
物語は若き水夫、マーティン・イーデンがごろつきに絡まれた上流階級の青年を助けたとかで、その人の屋敷でのディナーに招待されたところから始まる。
ふたりが出逢った
まともに教育も受けていない――でも感受性は豊かで頭脳明晰、上昇志向も高い――彼は、その家でこれまで身分違いで知ることのなかった上流階級の世界を垣間見て、強烈な決意を抱く。――俺もこの人たちのようになるぞと。
その家の妹ルースに一目惚れした彼は、自分に好意を示す彼女の助けも借りて、独学で勉強を始める。そして人間としてすさまじい成長を遂げてゆく。
やがて自分には小説家としての才能があるという確信を得た彼は、執筆活動を開始して、書きあげた作品を手当たり次第に投函してゆく。小説家として成功をおさめ、高額の原稿料を稼いで、ルースとの恋を成就すべく――。
ところが成功の日々はそう簡単には訪れない。本当に訪れない。しつこいくらいに訪れない。そうしてようやく望外な栄光をその手につかんだときには、彼は自分が必要としていたものをすべて失ってしまっていた……。
この作品が刊行されたのは二十世紀初頭(1909年)とのことで、そのせいか小説のスタイルとしてはやや古めかしいところがある(翻訳のせいかもしれない)。
それこそディケンズの作品を思い出させるような十九世紀風のビルドゥングスロマンの香り豊かなので、きっとディケンズのようなハッピーエンドにたどり着くのだろうと思って読んでいたら、とんでもなかった。残念ながら読者を満足させるような幸せは最後までやってこない。
いや、成功後にはいくらかは心温まるエピソードもあるんだけれど、なんせそこにたどり着くまでが長い長い。苦節十年とかいう感じなので、『半沢直樹』シリーズのような倍返しを期待して読んでいたら、倍返しはおろか、最後には原本が半減してしまった――というような喪失感たっぷりの苦い結末が待っていた。
その後のアメリカン・ニューシネマに通じるようなこの喪失感こそ、この作品が二十世紀の長編小説であることの紛れもない証左なんだろうなと思った。
(Jul. 18, 2022)