2022年9月の本

Index

  1. 『ワニの町へ来たスパイ』 ジャナ・デリオン
  2. 『ビール・ストリートの恋人たち』 ジェイムズ・ボールドウィン
  3. 『甘美なる来世へ』 T・R・ピアソン

ワニの町へ来たスパイ

ジャナ・デリオン/島村浩子・訳/創元推理文庫/Kindle

ワニの町へ来たスパイ 〈ワニの町へ来たスパイ〉シリーズ (創元推理文庫)

 任務に失敗して犯罪組織から命を狙われるようになったCIAの女性工作員が、しばし潜伏することになったルイジアナの田舎町で、癖のある住民たちと繰り広げるどたばた騒ぎを描いたコメディ・タッチのミステリ・シリーズの第一作。
 ニューオリンズに憧れるうちの奥さまの影響で、僕も漠然とアメリカ南部には興味を持っているので、たまたまディスカウントになっていたのをみつけて買ったのだけれど、これが意外とおもしろかった。
 内容はかなりB級で、謎解きよりも笑い優先って作品だけれど、それゆえに肩ひじはらずに楽しく読めるのがいい。ちょうどソニマニにゆくため往復一時間近く電車に乗る機会があったので、行き帰りの電車で読んでいたら盛りあがってしまい、そのまま週末の土日で読み終えた。最近は電子書籍を読むのに平気で一ヵ月以上かかるのがあたりまえになっているので、一週間以内に読み終わったのはプチ快挙だ。
 まぁ、それほどこの作品がおもしろかった――というか、読みやすかったということでもある。笑いのためにリアリティを度外視しているところがあるので、これってミステリというよりもラノベに近いんじゃないかと思う。
 物語は主人公のレディング(通称はフォーチュン、ファーストネームはまだ不明)がルイジアナのシンフルという町で最近亡くなった女性の遺産相続人だといつわって、その町にしばらく滞在することになったところから始まる。
 任務で悪党を殺してしまい、懸賞金をかけられた彼女は、その土地に身を潜めて静かに暮らすはずだった。
 ところが到着したその日に、河を流されてきた人骨の第一発見者となったことから過去の殺人事件の捜査に巻き込まれ、またアイダ・ベルとガーティというふたりの元気なお婆ちゃんたちやイケメン保安官と知りあったことで、彼女の隠密生活は初日からトラブルの連続に見舞われることになる。
 主人公の嘘がばれる、ばれないでハラハラさせて笑いを誘うというのはシットコムの定番だと思うので、トラブルメーカーの美人CIAエージェントが元ミスコン女王の司書だと身分を偽ってアメリカ南部の小さな町に乗り込んでゆくというこの小説の設定はもう最初から完全にコメディのそれ。あとはその緩いムードを楽しめるかどうかが評価の分かれ目でしょう。
 僕は十分に楽しませていただきました――まぁ、小説というよりマンガを読んでいるみたいな気分だったけれど、ゆえにとても楽しかった。いずれ続編も読むと思う。
(Sep. 11, 2022)

ビール・ストリートの恋人たち

ジェームズ・ボールドウィン/川副智子・訳/早川書房

ビール・ストリートの恋人たち

 2018年に『ムーンライト』のバリー・ジェンキンス監督によって映画化された――ということをこの本で知った――ジェイムズ・ボールドウィンの作品。
 ボールドウィンの日本での知名度からすると、そういう理由でもないかぎりいまさら新しく翻訳が出ることはなさそうだから、とりあえず映画化してくれたジェンキンス監督にお礼をいいたい。どうもありがとう! 映画もいずれ観ます。
 僕は大学時代にリチャード・ライトの『アメリカの息子』やボールドウィンの『もう一つの国』を読んでえらく感動して(もちろん翻訳でだけど)、卒論では黒人文学をテーマにしようかと思ったこともあるので、こうやってボールドウィンの作品を新しい翻訳で読めて嬉しかった。
 ――とかいいつつ、この小説をリチャード・ライトの作品と勘違いしていて、読み始めてから「あれ、時代設定が新しすぎない?」と思った大馬鹿者です。作者の名前を間違えるなんてあり得ない。ボールドウィンさん、大変失礼しました――と故人と知りつつ謝ってみてもせんかたなし。
 物語は冤罪で投獄された黒人男性と、なんとか彼を助け出そうとするその恋人と家族たちを描いたもので、舞台である七十年代当時のアメリカでの黒人の地位を反映していて、かなり救われない。『ビール・ストリートの恋人たち』というスウィートな邦題につられて読むと痛い目にあいます。
 でも『アメリカの息子』や『もう一つの国』と同じく、この作品も黒人差別の現実に虐げられながら、それでも前を向いて生きてゆこうとする主人公たちの姿には一縷の救いがある。一日も早く差別のない世界が実現して欲しいと切に願う。
(Sep. 11, 2022)

甘美なる来世へ

T・R・ピアソン/柴田元幸・訳/みすず書房

甘美なる来世へ

 柴田元幸氏が手掛けた翻訳作品はできるかぎり読むようにしているのだけれど、なにせ数が多いし、知らないうちに刊行されている本とかもあって、いまだに取りこぼしている作品がけっこうある。
 これもそのうちの一冊で、知らない作者の作品だし、なんとなく歯ごたえがありそうだったから、つい敬遠してしまっていた。
 で、そろそろ読まねばと購入したのが二年前(すでに刊行から十七年も過ぎていたせいで、古本でもないのに帯が日焼けしていた)。
 そんな本を満を持して今回ようやく読んでみれば、これがやはり予想以上の手強さで、読み切るのにまる一ヵ月もかかってしまった。不覚。
 でもこれはきつかったー。ピンチョンとかとは違って、物語自体は難しくないのだけれど、とにかくその文体が過剰に冗長。最初の一ページ目から繰り返しが多くて句読点のないだらだらとした文章が途切れなくつづいて、二ページ目の最後のほうまで終わらない。読み始めの一文がこんなにも長い小説はたぶん初めてだ。
 どれほどその文体が常軌を逸しているか、試しに冒頭部分を引用してみる。

 それは私たちが禿のジーターを亡くした夏だったが禿のジーターはジーターといってももはや大半ジーターではなく大半スロックモートンにたぶんなっているというか少なくても大半スロックモートンになっているとたぶん思われていてそう思われることが大半ジーターだと思われることより相当の向上ということになるのはジーターには大した人間がいたためしがないのに比べてスロックモートンたちはかつてひとかどの人間だったからであるが……(以下略)

 「いったいなに言ってんの?」って感じのこんな文章が延々とつづく。
 これが最初だけならばともかく、ほぼ全編その調子だからまいる。いったんそのリズムに慣れてからは、なんとか話を辿れるようにはなったけれど、それにしたって冗長の極み。その文体のコミカルさをユーモアとして楽しめればいいけれど、僕はなかなかその価値観になじめなかった。こんなに各ページが活字でびっしりで、段落の切れ目の余白が嬉しかった作品もまたとない。
 このままでは埒があかないと思ったので、第三章くらいからは休日を一日つぶして一気に読みきった。
 ちょうどそのあたりから主人公が誰なのかがはっきりして、物語がクライム・ノベル化しておもしろくなり、最後は思いのほか楽しんで読めたけれど、逆にいえば、そこまでの前振りは必要?――ってくらい、本当に長い長い。第一章の禿のジーター(女性です)の突然死の話とか、第二章の墓掘りの話とか、どういうつもりでそこまでたっぷりとページを取って語られているのか、さっぱりわからなかった。いやぁ、疲れました。
 柴田さんはあとがきで、これを皮切りに作者ピアソンのその他の作品も翻訳したいというようなことを書いているけれど、これが出てからかれこれ二十年近くたつのに、いまだにそのほかの作品が訳されていないのは、やはりこの過剰さについていけなかった読者が多かったってことなのだろう。
 作品としては十分に読む価値はあると思うので、前述した文体の異常さを乗り越える根気のある読者にだけお薦めしします。少なくても僕の狭い交友関係のなかにはこの小説を喜びそうな人はひとりもいない。
(Sep. 25, 2022)