2022年11月の本

Index

  1. 『タイムクエイク』 カート・ヴォネガット
  2. 『光圀伝』 冲方丁

タイムクエイク

カート・ヴォネガット/浅倉久志・訳/早川書房/Kindle

タイムクエイク

 前作から二年もあいだがあいてしまった。ヴォネガットの作品を電子書籍で再読するシリーズ、長編小説としてはこれが最後の一冊。
 内容は一度は書きあげた同名小説の出来に満足ゆかなかったヴォネガットが、そのあらすじを説明しながら、キルゴア・トラウトと作者自身の会話など、メタフィクショナルなパートを折りはさみつつ、自らの家族の思い出などを語ってみせたもので、小説ともエッセイともつかぬ、不思議な感触の作品に仕上がっている。
 タイトルの『タイムクエイク』は、本文をそのまま引用すると「時空連続体に発生したとつぜんの異常で、あらゆる人間とあらゆるものが、過去十年間にしたことを、よくもわるくも、そのまま繰り返すしかなくなる」というもの。
 過去をリフレインすることを余儀なくされた人たちは、自らの自由意思なくして同じ十年を自動運転のように繰り返すことになる。
 ヴォネガットがすごいのは、その十年が過ぎたあとで、自動運転が終わったことに気がつかない人々が、次々と悲惨な事故を起こすことになる点。車を運転していた人たちはブレーキを踏むことなく追突事故を起こし、パイロットは操縦を忘れて飛行機が墜落する。この着想がすごい。
 でもって、その緊急事態から人々を救う役割を担うのが、なんとお馴染みのキルゴア・トラウトとくる。それだけでもうヴォネガット・ファンにとっては特別な作品といえる。まぁ、ヴォネガット先生にとっては、自らの分身ともいうべきトラウトを英雄に仕立て上げてしまったのがこそばゆくて、オリジナルの小説をそのままの形では発表できなかったのかもしれないけれど。
 作者自らが未発表作品のあらすじを断片的に語ってみせたトリッキーな本なので、物語としての没入感はあまり高くないけれど(おかげで読み終えるのにまたもや二ヵ月以上かかってしまった)、ヴォネガットという作家の語り口の魅力が存分に楽しめる、うまみたっぷりの作品だった。
(Nov. 07, 2022)

光圀伝

冲方丁/KADOKAWA

光圀伝

 水戸黄門こと徳川光圀の生涯を描いた冲方丁による時代小説・第二弾。
 テレビドラマの好々爺然とした黄門様は史実とはキャラクターが違うって噂は聞いていたけれど、なるほど、この作品で描かれる光圀の人物像はまったくの別人だ。なんたってこの作品はプロローグとして、晩年の光圀が腹心の家臣をみずからの手で処刑する場面を描くところから始まるくらいなので。
 それにつづく光圀の幼少期を描く本編最初のエピソードでも、光圀が父の賴房に命じられて、処刑場から打ち首にした家臣の生首を持って帰るというシーンが描かれる。幼い子供がひとり生首をぶらさげて夜道を歩いているという絵面が凄まじい。
 そんな風に冒頭からいきなり殺伐としたエピソードがつづくので、これはもしや京極夏彦の『ヒトごろし』と肩を並べるような凶悪な小説なのかと思っていると、途中から様相が一変する。
 血気盛んな若者に育った光圀は、十代で初めて人を殺めることになるのだけれど、たまたまその殺人現場に巡りあわせた宮本武蔵、さらには沢庵和尚との知己を得て、人の命を奪うことの意味について深く考えさせられることになる。
 さらには儒学者・林羅山の息子、読耕斎と出会って儒者としての競争意識をかきたてられけ、泰姫{たいひめ}を妻として迎えるころには、序盤の殺伐とした空気はどこへやら。秀でた才能をもつ文人として世に認められた光圀の世界からは、血なまぐささは一層されている。
 ただ、血なまぐさくはなくなるけれど、その後も不幸は途切れることなく光圀を襲いつづける。巻なかばにして彼にとって大事な人々が次々と病に倒れてゆく。
 ほんと途中からは、え、まさかこの人がって展開の連続だった。
 まぁ、それが史実なのだから仕方がないのだけれど、でももっと光圀さんには幸せなときを長く過ごして欲しかったよ……。あぁ、諸行無常。
 光圀は長男である兄を差し置いて、自分が世子として父の跡を継ぎ、水戸藩主になることを「不義」と考え、生涯にわたって激しい煩悶を抱きつづける。この「不義」をいかにして正すか――つまり「正義」をなすか――が光圀の生涯にわたる課題であり、この小説の主題でもある。
 冒頭で描かれる家臣の処刑シーンも、正しい「義」を貫こうとする光圀の誠実さゆえだったことが、章を改めるごとに挿入される「明窓浄机」と題した光圀の内的独白的な短文のなかで明らかにされてゆく。
 なぜに光圀は腹心の家臣にみずから手を下さなくてはならなかったのか――。
 そしてその家臣とはいったい誰なのか――。
 それを徐々に紐解いてゆく部分には、ある種のミステリ的なおもしろさもある。でもってその結論に至る過程で「大政奉還」なんて言葉が出てくるのにもびっくりさせられる。
 だって光圀は家康の孫だよ? まだ江戸幕府ができて数十年だよ?
 そんな時代にすでに大政奉還へと至る思想の芽が芽吹いていたとは……。
 まぁ、その点が史実に基づくのかどうか、さだかではないけれど、学問が時代を超えて歴史を変えてゆくというこの部分には大きな感銘を受けた。
 そうかぁ、徳川慶喜って黄門様の末裔なんすねぇ……。
 そういえば、この小説には終盤になって『天地明察』の主人公・渋川晴海が出てくる。あちらにも徳川光圀が出ていたような記憶があるし、この両作品は同じ時代に生きて、その後の日本の歴史に陰ながら大きな影響を与えたふたりを、それぞれの視点から描いた姉妹編のような関係にあるんだろう。
 僕には一生かけてもたどり着けないその着想にも脱帽だった。
(Nov. 27, 2022)