Coishikawa Scraps / Books

2023年10月の本

Index

  1. 『RINGO FILE 1998-2008』 椎名林檎
  2. 『音楽家のカルテ』 椎名林檎
  3. 『鵼の碑』 京極夏彦
  4. 『象は忘れない』 アガサ・クリスティー

RINGO FILE 1998-2008

椎名林檎/ロッキング・オン

RINGO FILE 1998‐2008

 椎名林檎のデビューから約十年間――アルバムでいうと『無罪モラトリアム』から東京事変の『娯楽』まで――のロッキング・オン関連の記事をまとめた本。

 ここでは便宜上、椎名林檎の著作という扱いにしておくけれど、実際にはこの本には著者のクレジットがない。同じロッキング・オン社から出ている宮本浩次や北野武のインタビュー本は彼らの名前が著者としてクレジットされていたので、これも椎名林檎名義かと思っていたら違った。

 なぜかというと、それはおそらく、この本にはインタビュー以外の記事が載っているから。

 最初の五十ページほどが写真集で、そのあとの第二部が長編のインタビュー四本。それこまでならば椎名林檎名義になったんだろうけれど、そのあとにライター各氏によるライブ・レビュー(二段組)とディスク・レビュー(三段組)が掲載されている。

 いかにもロッキング・オンらしいそれらのレビューが掲載されているがゆえに、この本は椎名林檎名義にはなりえなかったんだろう。

 いやしかし、この本を読むと椎名林檎という女性アーティストのデビューがいかにセンセーショナルだったかがよくわかる。

 椎名林檎という規格外の才能の登場に対して、当時の日本の音楽シーンがどれほどの興奮を味わったのかがビビッドに伝わってくる。この作品はそういう意味での貴重なドキュメンタリーとなっていると思う。

 ただ、椎名林檎があまりに破格であったからこそ、それを熱く語るライターたちの言葉が暴走してしまって、わけがわからなくなってしまっている感もある。

 ロッキング・オン系のインタビューって、誘導尋問的なスタンスでアーティストに自分の意見を押しつけてゆくような傾向が強くて、正直僕はいまいち好きではない。レビューにしても、大仰で哲学的な言葉で読者を煙にまいて、ひとり悦に入っているような書き手が多い。僕の頭が悪いのかもしれないけれど、真意がまるで伝わらない。

 僕はロッキング・オンのそういう傾向が苦手で、ある時期からあの会社の出版物とは距離を置くようになったのだけれど、この本からはそういう僕が苦手なロッキング・オン系ライターの過剰な自意識が溢れ出しまくっている。それこそ主役であるはずの椎名林檎さえ食ってしまうほどに。

 おかげで僕はいまいちこの本を楽しめなかった。

 これを読むと、この続編ともいうべき『音楽家のカルテ』が別の出版社から出たのは必然だったのではという気がしてしまう。僕が椎名林檎だったら、きっとこんな本は嫌だ。この本が絶版になっているのは彼女自身の意向なのではと勘繰りたくなった。

 ちなみに、十五年も昔、刊行当時に買ったまま積読になっていたこの本をいまさら読んだのは、倉庫と化している部屋を整理していたらたまたま出てきたから。気がつけば今年は椎名林檎デビュー二十五周年だし、いい機会だから読もうって気になった。

(Oct. 01, 2023)

音楽家のカルテ

椎名林檎/スイッチ・パブリッシング

音楽家のカルテ (Switch library)

 ひきつづきもう一冊、椎名林檎のインタビュー本。

 こちらは2007年から2014年にかけて雑誌『SWITCH』に掲載されたロングインタビューをまとめた本。時期的には東京事変『娯楽』から、事変解散後のソロ『日出処』までで、つまり冒頭の部分は『RINGO FILE』とかぶっている。

 おもしろいのは、出版社が違うのに、書籍としての形式がひとつ前の『RINGO FILE』と似通っていること。

 サイズも同じ(A5版?)だし、冒頭に写真集があって、そのあとにインタビュー六本、でもって最後が三段組のディスク・レビュー(のようなもの)という形になっている。

 つまりライヴ・レビューがないことを除けば、体裁はほぼ『RINGO FILE』と同じ。

 ただし、こちらは著者がちゃんと椎名林檎名義になっている。

 なぜかというと、巻末のディスク・レビューかと思ったものが、ディスク・レビューではなく、椎名林檎自身による、彼女が好きな曲やアルバムの紹介文だから。

 要するに『RINGO FILE』とは違って、この本は基本的にすべて椎名林檎自身の言葉のみで成り立っているのだった。

 いやもとい。メインであるインタビューはシンプルな対話形式ではなく、編集者の内田正樹という人の語りが入るスタイルだから、純粋な彼女の言葉だけとはいえない。

 それでも内田氏(この人も一時期はロッキング・オンにいたらしい)の言葉からは、過度の自己主張は控えて、できる限り丁寧に椎名林檎の言葉を汲み取ろうという真摯な姿勢が伝わってくる。そこがとても好印象だった。

 おかげでボリュームは『RINGO FILE』の半分しかないけれど、内容的には圧倒的にこちらのほうが読んでいて気持ちよかった。

 できれば三十周年記念とかでこのつづきが読めたら嬉しい。

(Oct. 01, 2023)

鵼の碑

京極夏彦/講談社

鵼の碑 鵼の碑 (講談社ノベルス)

 ついに出た! 百鬼夜行シリーズ十七年ぶりの新作長編!

 ようやく読めたのが嬉しくて――あと若干理解が及ばないところがあったので――単行本を四日間で一気読みしたあと、ひきつづき講談社ノベルズ版でも再読した(二度目は三週間もかかった)。まぁ、せっかく両方とも買ったんだし、いいかなと思って。

 いやしかし、最初からじらすこと焦らすこと。長いこと待ったんだから、もうちょっとくらい待ってもいいでしょうとばかりに、この作品は冒頭から読者を焦らしまくる。

 まずはいつもならば鳥山石燕の妖怪画から始まる冒頭部分に、今回はタイトルである「鵼」にまつわる古事来歴の引用――主に藤原頼政という人が退治したという話のバージョン違い――がどっさりと仕込まれている。

 引用元は古事記、万葉集から始まって、平家物語やら、能の脚本(?)やら、じつに八冊。単行本だとそれが十五ページまでつづく。

 で、ようやくそれが終わったと思ったら、そのあとに本作の主要キャラのひとりである久住加壽夫の創作ノートと題した作中作の短編『鵼』がくる。これが単行本だと四十二ページまで。

 冒頭の古文を読むのにやたらと骨が折れたこともあり、ようやくそれらを読み終えて本編に突入するまでに一時間半前後かかってしまった。頼むよぉ。じらすのはやめてください。

 ――まぁ、とはいえ、そこから先はサービスメニュー。

 頭が猿、手足は虎、体は狸、尾は蛇という妖怪・鵼にちなんで、本編は「蛇」「虎」「狸」「猨」の四部構成の各六章ずつに、それぞれシリーズの主要キャラを配したうえで、スパイラルに語られてゆく。

 前作『邪魅の雫』はシリーズキャラの出番が少ないのがささやかな不満だったけれど、今回は冒頭こそ焦らされたものの、それ以降はお馴染みのキャラ――関口くん、益田くん、木場修、そして京極堂!――が物語のキーパーソンとなる人たちとともに物語をひっぱってゆく。で、最終的にそれがひとつにまとまるという趣向。

 こんなのファンとしては読むのが止まらなくなるのが必定でしょう?

 あとひとつ「鵺」(タイトルである空編に鳥ではなく、こちらは夜編に鳥)と題した章もあって、ここでは緑川佳乃という新キャラが登場して物語に華を添えている。

 彼女は京極堂たちの学生時代の知り合いだという設定だからヒロインという年ではないのだろうけれど、印象はまさしくニューヒロインって感じだった。

 まぁ、そこまでのおもしろさは文句なし。でも、肝心の憑き物落しが描かれる最終章「鵼」は、正直なところ過去最弱というか……。

 これまでの事件でもっとも悲劇性が低くて――そもそも落とすべきものがないみたいな印象で――やや尻つぼみ感が否めなかった。

 でもまぁ、ラストで巷説百物語シリーズが思い切り絡んできたのにはびっくりしたし、ファンとしては読めたこと自体が僥倖。――これはそういう作品です。

 いずれ文庫版が出たらまた再読すると思うから、詳しいあらすじはそのときに。

 ちなみに京極夏彦は版型ごとに文章を改定することで有名だけれど、今回は単行本と新書版をつづけて読んだことで、その違いがなるほどよくわかった。

 冒頭の短編『鵼』がいちばんわかりやすい。

 単行本では見開きページの右側冒頭がすべて「朔の夜である」等の一行で始まるよう文章が統一されている。

 それに対して、講談社ノベルズ版では二段組で一ページあたりの文字数が増えることもあり、前後に改行を入れたり、その一行を削ったりして、レイアウトに沿うよう文章を整えてある。

 なるほど、こうやってレイアウトごとに文章を調節しているのかって納得がいった。とはいえ、DTPまで自ら手掛けている京極氏だからこそできることであって、ふつうの作家にはとても真似できることじゃない気がする。

(Oct. 21, 2023)

象は忘れない

アガサ・クリスティー/中村能三・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

象は忘れない (クリスティー文庫)

 名探偵ポアロものもこれを含めて残すところあと二冊。

 最後の『カーテン』はクリスティーが戦時中に書きあげて、自分の死後に発表するよう指示しておいたものだというのは有名な話なので、いちばん最後に書いたポアロが主人公の長編はこの『象は忘れない』ということになる。

 この作品もポアロに事件をもたらすのはアリアドニ・オリヴァ夫人だ。

 クリスティーはその晩年の最後に、三作連続で自らの分身ともいうべきオリヴァ夫人を狂言回しにしてポアロの舞台を用意したことになる。すでに引退したも同然の老探偵を現場にひっぱりだすには、彼女のような知人からの要請がないと説得力が足りないと思っていたんでしょうか。よくわかりません。

 物語は作家仲間のパーティーに出席したオリヴァ夫人が、見知らぬ女性から「二十年前にあなたの名付け子の両親が心中した事件は、夫が妻を殺したのか、妻が夫を殺したのか、どちらだかご存じですか?」みたいなことを尋ねられるところから始まる。

 事件当時はアメリカ講演旅行中で詳しい話を知らなかったオリヴァさんは、その件についてポアロに相談を持ちかける。

 その後、名付け子のシリアやその婚約者のデズモンド(パーティーで話しかけてきた女性の息子)からも話を聞き、事件当時の関係者からの証言を集めて歩いたふたり――というか行動するのはほぼオリヴァ夫人――は、やがて二十年前の事件の真相にたどり着く……というような話。

 解決すべきは二十年も昔の事件ということで、主役の名探偵のみならず、聴き込みの対象となる登場人物もほとんどが高齢者。若い人は当時者のカップル一組のみという、平均年齢の高さが極めつけな感じの作品だった。

 おかげで物語は地味だし、謎もシンプルでミステリとしては平凡な出来だけれど、事件の真相には京極夏彦の作品にも通じるやる瀬なさがあって、印象は悪くなかった。

(Oct. 28, 2023)