ゴースト・トレインは東の星へ
ポール・セロー/西田英恵・訳/講談社
ロンドンから出発して、できるだけ鉄道を使ってユーラシア大陸を横断し、極東・日本で折り返して、最後はシベリア鉄道でヨーロッパへ帰る。
ポール・セローという人は三十代のころにそんなひとり旅の模様をつづった旅行記『鉄道大バザール』のヒットにより作家としての地位を確立したのだそうだ。
いわば沢木耕太郎の『深夜特急』、あれの逆ルート版。
どちらも七十年代前半の話で時期も一緒。ほぼ同時期に見ず知らずのアメリカ人と日本人が正反対のルートで同じような旅をしていたのがおもしろい。そういうのがブームの時代だったんでしょうかね。よくわからない。
さて、話は『鉄道大バザール』の旅から三十年後。二十一世紀に入って
訪れる国の数が多いうえに、作者がこれまでに読んできた様々な文学作品からの引用が随所に盛り込まれているため、ボリュームはんぱなし。上下二段組・五百五十ページ越えで、どのページも活字がびっちりで黒々している。
おかげで読み終わるのに一ヵ月以上かかってしまったけれど、作者が何か月もかけた旅の記録だけに、その時間がある種の臨場感を与えてくれて、ともに旅をしているみたいな気分になれた。
いやしかし、平和な日本でのほほんと暮らしているせいで知らないことの多かったこと。トルクメニスタンの大統領ニヤゾフが独裁のあまり、十二ヶ月や曜日の呼び方を変えたとかいう話には心底びっくりだった。「これからは四月のことを私の母親の名前で呼びなさい」って。え、そんなの許される? でもって、それっていまからせいぜい十五年くらい前の話なの? マジ? いやはや、びっくりだ。
日本人としては、旅の最後の最後に訪れるわが母国についてどんなことが書かれているか楽しみにしていたのだけれど、残念ながらセロー氏の描く日本のイメージはあまりよろしくない。
セロー氏の『ワールズ・エンド』を翻訳した縁もあって、日本での案内役をわれらが村上春樹氏が買って出ているのだけれど、よりによってその春樹氏の案内で訪れるのが、秋葉原の大人のおもちゃのデパートやメイドカフェって……。
なにもわざわざそんなところへゆかなくなっていいだろうに。
俺は仕事で有楽町へ通っていたころ、山手線の車窓から毎朝のようにその大人のおもちゃのデパートを眺めていたけれど、一度も中に入ったことがないぞ。大半の日本人男性は僕と同じだと思うんだけれどなぁ……。
セロー氏は日本のマンガ文化や突飛な性風俗に、日本男性の幼児性やロリータ趣味を見い出して揶揄しているけれど、読んでいるこちらからすると、どの国でも娼婦や風俗嬢に目を止めて詳しく書いているあなたもなかなかのエロ親父だろうよって言いたくなる。六十過ぎてなおセックスに拘泥しすぎでは。
社会の暗部としての犯罪や性風俗の現実を暴くのも文学の仕事だという考え方はあるんだろう。でもそうでない文学だってあってしかるべきでしょう。明るい場所を歩いて、美しい文章を書いただけでは文学にならないというのは、ある種、文学の敗北宣言ではなかろうか。
『奥の細道』みたいな紀行文学の古典がある日本人の感覚からすると、セロー氏の紀行文はいささか品を欠きすぎている気がした。
(Dec. 17, 2023)