ジョージ・ルーカスとスティーヴン・スピルバーグの二大巨匠がタッグを組んだ冒険活劇の傑作。今回ようやくDVDを入手したので2年ぶりに観た。さすがに最新の修復技術は優れているらしく、LDで見た時には随分と映像の粗が目立っていたのに、すっかりぴかぴかになっていて嬉しかった。
といいつつ、以下はこの映画に対する非難になってしまうのだけれど。
以前、宮崎駿氏がインタビューでこの映画をけなしているのを読んだことがある。宮崎さんは確か、主人公が潜水艦に乗り込むシーンを例にあげて、そのいい加減な御都合主義を非難していた。
僕はそれを読んで不思議に思った。自身の作品だって御都合主義からは逃れられないでいるのだろうに、なぜこの映画のそうした部分が、わざわざけなすほど気に入らないのか、わからなかった。基本的には徹底した娯楽映画なんだし、その中での適度の御都合主義は仕方なくはないかと。
ところが今回観直してみたところ、残念ながら僕にもこの映画があまり上等な作品には思えなくなってしまった。その一番の理由は、娯楽を提供するために人をいとも容易く殺して見せてしまっていることにある。
もっとも典型的なのが、インディが蛮刀を振るって襲ってくる敵をピストルで撃って殺してしまうシーン。あのシーンの痛みのないユーモアは、ある意味すごく残酷だと思う。成長しつつある子供の親として、また死につつある親をもつ身として、生と死を真面目に考えることの多い今の僕にとって、ああした無邪気な殺人の描き方には、違和感を覚えないではいられないものがあった。いかに娯楽だとはいえ、あんなにお気軽に人を殺すシーンを描いていいのかと。
もちろん世の中にはエンターテイメントとしての殺人があふれかえっている。僕らは罪深くもそれらを楽しんでいる。けれど、基本的に死を描くのならば、それが娯楽のためであろうとかなろうと、そこには死というものがもつ尊厳や、死にゆくものへの敬意や、それを相対化するシニシズムがなくてはならないと僕は思う。最低でもなんらかの罪の意識を持たないといけないと思う。死というものの重さを知った上で、あえてそれを扱うのが大人としての表現者の責任ではないかと。
この映画にはそういう自覚がまったくないように見える。いまの僕はそれを罪深いことだと思ってしまう。宮崎駿という人は作品全体に対して同じような無責任さを感じたんじゃないだろうか。表現者が自分の都合がいいように、人の生死をまでも安易に娯楽化して平然としている無神経さに反応して、拒絶反応を示していたんじゃないかと思ったりした。
なにはともあれ、かつてもっとも好きな映画のうちのひとつだったこの作品が、そんな風に素直に楽しめなくなっている自分を寂しく思いつつ、それが成長するってことなのかなと思う今日この頃だった。
(Dec 19, 2004)