H・G・ウェルズ原作の古典SF映画のスピルバーグによるリメイク。トム・クルーズ演じる主人公が、幼い娘を連れて、突然やってきたエイリアンの攻撃から逃げ惑う姿を描いている。
物語の知名度が高すぎる作品のリメイクであるがゆえの弱点だろうか。随所に説明不足なところがあって、首をかしげたくなることがしばしばだった。
たとえば、最初は問答無用で人々を灰にしていた宇宙人が、どうして途中から人間を捕獲し始めるのかとか。突然生え出した赤いツタはいったいなんなのかとか。トム・クルーズ演じる主人公のティム・ロビンスに対する仕打ちとか。そしてあまりにあっけないエイリアンの末路とか。それぞれ原作を読んでみれば、ああなるほどというシーンなのだけれど、原作を知らない人間にとっては、なんだかどれも唐突な印象が強すぎると思った。
僕は原作を読んだことがなく、52年版の映画も見たことがない状態でこの映画を見てしまったので、なんだかすごいいい加減な話に思えて仕方なかった。で、とりあえず映画の出来について書く前に原作を読んでみることにした。すると読んでみたところで、ある程度納得はいくようになった。それぞれのシーンの意味が初めて飲み込めたからだ。たとえばラスト近くでトライポッドに鳥がとまるシーンがあって、とても不自然に感じたものだけれど、あれなんかもおそらく原作のシーンを踏襲しているのだろうと、読んだ人間ならばわかる。でも本来、映画ってそういうものではないはずだ。何も知らないで見てもきちんと理解でき、納得できるようでないと。
ということでこの映画は、あまり誉められる出来ではないと思う。特にエイリアンの負け方が原作のまんまというのがペケ。ウェルズが物語を書いた時代ならばともかく、地球人がすでに月を訪れて四半世紀を過ぎた今、ああいう滅び方にはまったく説得力がない。子供だましにもほどがある。もっとそれなりに納得のいく仕様変更を加えないと仕方がないだろう。それだったらば、まだ『マーズ・アタック!』の馬鹿馬鹿しいオチの方がマシに思えてしまう。
宇宙人の不条理な侵略を、迎え撃つ政府や軍の立場から描いて見せ、娯楽大作に仕立てたのが『インディペンデンス・デイ』だった。スピルバーグは同じテーマを、ウェルズの原作の一人称のスタイルを踏襲して、市井の一市民の姿のみを通じて描くことで、パニック映画として演出してみせた。そのこと自体は素晴らしいと思うし、それゆえに興味を引かれた作品でもあったので、結果としての出来がいまひとつなのが残念だった。どうせならば、余計な解決方法は用意せずに、ヒッチコックの『鳥』のような結末にしていれば、パニック映画としてもっと格が上になったような気がしてならない。
(May 07, 2006)