ザ・シンプソンズ シーズン1
マット・グレーニング製作総指揮/1989年/アメリカ/DVD
近々公開される映画版において、主演の声優がテレビ版とは総入れ替えになってしまったことで、一部で大きな反響を呼んでいる 『ザ・シンプソンズ』 。
当然、僕も声優変更には大反対なのだけれど──だって、わけもなくルパン三世やコロンボの声が変わったら、誰だって怒るだろう。知名度が低いからって、替えても構わないだろうなんて思うのは、言語道断だ──、でも考えてみたらば、僕がこのアニメをきちんと観ていたのは、かれこれ十年近く前のこと。子供が生まれてからは、多忙にかまけて、DVDボックスを買いそろえている奥さんを横目に、傍観を決め込んでいた。こんなんで文句を言うのもなんだろうと思い、ひさしぶりにちゃんと観てみようと、今回ファースト・シーズンのDVDボックスを引っぱり出してみた。することこれが……。
やっぱりおもしろいんだ、この作品。ひさしぶりに観てみて、あらためて感心してしまった。
いや、このおもしろさは、おそらく観てもらわないとわからない。そもそも、あのキャラの絵を見て、これはおもしろそうだと思う人って、あまりいないんじゃないだろうか。サインペンで描いたようなシンプルなタッチはともかく、みんな顔はまっ黄色だし、目玉は飛び出しているし、四本指だし。絵だけで万人に愛されるとは、とても思えない。どちらかというと、普通の感性を持った人ならば、絵を見た時点で引いてしまって当然という気さえする。少なくても僕自身、実際に見るまでは、自分がこんなアニメを気に入るなんて、思っていなかった。
でもいざ観てみれば、たいていの人はこの作品のドラマとしてのまっとうさに意表をつかれることになると思う。なんといってもこの作品の一番の特徴は、それが見事に「大人向け」の作品であるところにある。
やはりアニメというと子供のものという印象が強い。「大人でも楽しめる」という作品はあっても、大人のために作られたと断言できる作品となると、まったく思いつかない。アメリカのアニメは、『トムとジェリー』やディズニー映画のように、あきらかに子供向けのものばかりだし、日本には押井守や大友克洋の作品のように、子供向けではない作品があるとはいっても、それだってメイン・ターゲットはアニメファンを中心とした二十代前後の若者だろう。宮崎アニメも大人向けというには、ちょっとばかり毒がなさすぎる。そもそもこの辺の作品は長編ばかりだ。『サザエさん』 や 『ちびまる子ちゃん』 は大人の目を意識した作品なのだろうけれど、あれらはリアルタイムに世相を反映していないからこそおもしろい、ノスタルジーを武器にしたナツメロのような作品だし。
そう考えると、連続テレビアニメで、映画やテレビドラマのような現代劇として、普通に生活している大人たちにアピールしうる作品というのは、ないにひとしい。まあ、詳しい人にいわせれば、反論はあるのかもしれないけれど、少なくても僕が知っているかぎりでは、皆無だと思う。しかもコメディとなると、なおさらだ。
そんな中にあって 『ザ・シンプソンズ』 というアニメは、まさに異色中の異色の作品だと僕は思っている。なんたってこれは、連続テレビアニメでありながら、大人こそが楽しめるという、たぐい稀なる傑作シチュエーション・コメディなんだから。
このアニメのなかで、製作総指揮のマット・グレーニングは、主人公のシンプソンズ一家と、彼らが住む架空の町スプリングフィールドの住民たち──これがまた名脇役ぞろいだったりする──の姿を通して、アメリカという国の世相を、ものの見事に笑い飛ばしてみせる。
このファースト・シーズンだけでも、描かれるテーマは原発、貧困、いじめ、カウンセリング、不倫、強盗、エトセトラ、と普遍的な社会問題のオンパレード。そう書くと非常に暗い感じがするけれど、でもこれはあくまでもコメディ。どんな悲惨な話にも、たいてい笑える側面があるもので、作り手は悲劇の裏にある滑稽味を温かい目ですくいあげてみせ、シンプソン家の面々は(適度の)愛さえあればなんのそのと、決して恵まれない社会と家庭、両環境のなかで、あっけらかんとした笑いをふりまいている。
こうした社会的なテーマを堂々と笑いのネタとして扱っている時点で、作り手が最初からこの作品のターゲットを大人に絞っているのはあきらかだ。ある程度の年齢にならないかぎり、この手のブラック・ユーモアでは笑えないだろうから。そもそも、時には(なんとあの絵で)夫婦生活の内情まで描かれたりするので、幼い子供と一緒に観るのがためらわれるようなところさえある。同じような長寿アニメのホームコメディだということで、 『サザエさん』 や 『ちびまる子ちゃん』 と比較されることがあるけれど、時として男女関係を赤裸々に描いてみせる点において、 『ザ・シンプソンズ』 はそれらとは決定的に異なっている。
またこの作品では、笑いをとる上で、パロディがとても大きな比重を占めているのも特徴。ほんと、この作品は全編にわたり、さまざまな映画や音楽のパロディで満ちあふれていて、それが僕のように映画や音楽が大好きな人間にとっては、大きな魅力のひとつとなっている。
パロディなんてものは、オリジナルを知っているといないとで、笑える笑えないが大きく左右されるもので、この点でも観る側にある程度の経験値を要求することになる。
もちろん、そこは1回20分強の連続テレビアニメ。全部が全部、そんなブラック・ユーモアやパロディばかりなわけがない。主人公一家の子供たちが小学生だということもあり、もっとわかりやすい、ごく普通のドタバタ・ギャグもたっぷりと描かれる。どちらかというと、そういう普通のギャグの合い間に、わかる人にわかればいいやという程度に、注意深く観ていないと見落としてしまうようなユーモアや、あからさまなパロディが差し込まれているという感じもする。その辺のバランスが絶妙で、ラフな作画とは反対に、演出においては細かいところにまで非常に気がゆき届いている。
とにかく、こんな風に魅力的なキャラクターを配し、時事問題を効果的に物語のなかに取り入れながら、合い間に気のきいた映画や音楽のパロディを差しはさみつつ、アメリカの現状を見事なデフォルメとともに活写してみせた作品なんて、実写にだってそうざらにはない。しかもそうした要素が、毎回わずか20分ばかりのなかにテンポよく詰め込まれているんだから、お見事。連続テレビアニメならではのテンポのよさというのも、この作品の大きな魅力だと思う。いったん見慣れてしまうと、あの独特のラフな絵にさえ、愛着が湧いてくる。これがアメリカで二十年近くにわたって愛されているのも当然だと思う。逆にこれほどの作品が、なんで日本ではこんなに知名度が低いんだか、そっちのほうが不思議だ。
このファースト・シーズンでは、まだキャラクターが固まりきっていなくて、エピソードも13話だけと少なく、いまだ十分にその真価を発揮しきれていない感じもする。でも、短いからこそ、DVD3枚ですべて観られるわけで、入門編としては最適。アメリカにそれなりに関心があって、良質なコメディが楽しみたい人は、ぜひとも観てください──とりあえず作画に対する先入観は抜きにして。
あ、それと僕は今回、このDVDを観てはじめて知ったのだけれど、このアニメのオープニング・テーマを書いたのは、ティム・バートンの 『バットマン』 や 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』 でお馴染みのダニー・エルフマンだった。まだまだ売り出し中で、いまほど知名度が高くない時期だったのかもしれないけれど、それでもこういう作品のために、映画の音楽監督を呼んできて、素晴らしく作品にマッチした楽曲を提供してもらい、それを毎シーズン変えることなく大事にしてゆく姿勢には、アメリカのショービズ界の良識と自負をみる思いがする。それにくらべて、いきあたりばったりのタイアップばかりのこの国ときた日には……。
日本のエンタメ業界の多くは利益を優先するあまり、作品への敬意と愛情を欠きすぎていると思う。今回の声優変更問題なんか、その最たる例だ。
僕は子供と一緒に観るアニメをのぞけば、外国の作品は、たいていオリジナルの音声で観ている。でも 『刑事コロンボ』 と 『ザ・シンプソンズ』 だけは例外。この二つについては積極的に日本語で観たいと思う。つまり僕にとって 『ザ・シンプソンズ』 の吹替は、あの小池朝雄氏のコロンボと肩を並べるほどの出来映えなのだった。それをわずかばかりの話題作りのために、特別アフレコが上手いわけでもなく、作品への愛情のかけらも感じさせない芸能人に替えちゃうなんて……。それはあまりに悲しすぎる。
いまはどんな形でもいいから、20世紀フォックスが決定をくつがえし、われわれに日本語オリジナル声優版の 『ザ・シンプソンズ MOVIE』 を劇場のワイドスクリーンで観させてくれるよう、願ってやみません。
(Oct 08, 2007)