『姑獲鳥の夏』 につづく、注目の京極堂シリーズ映画化第二弾。
今回の作品に関しては、まずは映像がいい。前作はテレビドラマ的な奥行きのないものだったけれど、こちらはしっかりと金をかけて、これでこそ映画という映像に仕上げてある。どこでロケをしたんだか知らないけれど(おそらく台湾か香港あたり?)、舞台である戦後東京の昭和レトロな雰囲気がとてもいい感じで再現されている。まあ、美馬坂研究所の不自然なまでのおどろおどろしさや、原作にはないクライマックスの派手すぎるほどのカタストロフなど、ちょっと作りすぎな感はあるけれど、それでも作り手のやる気は十分に伝わってきた。
演出的にも、とてもユーモアが効いていてテンポがいい。ただ、ときとしてユーモアが効きすぎてしまっているのが玉にきず。特に、不用意に笑いに走ったあまり、まったく貫禄がなくなってしまった京極堂にはイメージ狂いまくりだった。クライマックスのラストシーンでの彼のぶざまさと来た日には……。あれはちょっとないんじゃないだろうか。もとより堤真一は僕の抱いている京極堂のイメージとはかなりずれているので、そのうえあれではがっかりもいいところだった。
キャラのイメージが違うといえば、関口くんもそう。彼の場合は、前作での永瀬正敏がけっこうしっくりきていたので、配役変更であとを継いだ椎名桔平の、口下手でうつ病の小説家というよりは、どちらかというと適度に調子のいい銀行員とでもいったような演技には、最後までなじめなかった。途中からコメディエンヌのようになってしまう敦子ちゃん(田中麗奈)もしかり。彼女の場合はなまじ、はまり役だけにもったいない気がした。
まあ、でもそんな風に思うのも僕が原作を偏愛しているからであって──なんたってこれまでにシリーズのほとんどの作品を二度、三度と読んでいるもので、固定的なイメージがすっかりできあがってしまっている──、そういう先入観を抜きで観たならば、決して彼らの演技がまずいわけではないんだろうと思う。単にイメージのずれが許容できないという、それだけの問題。反対にもともといい味を出していた阿部寛の榎木津はさらにパワーアップしているし、前作ではいまひとつだった宮迫博之の木場シュウなどは、前回よりも板についてきた感じがして、それなりに好印象だった。
とにかく映画自体は、映像的にも演出的にも上出来だと思う。なによりあれだけ長大な原作をよくも二時間強にまとめたものだと、その点には感心した。ただしストーリーにはそれなりに手を加えてあって、原作でもっともインパクトがある──と僕が思っている──電車内での久保竣公(宮藤官九郎!)と某氏との邂逅シーンがなくなっていたりするし、原作の一番の魅力である憑物落としのシーンが思いきり簡略化されていたりするので、これを観ても京極夏彦のミステリのすごさは伝わらない気はする──というか、そもそもこの映画をミステリと呼べるかというと、それさえ疑問だったりする。
そう、この映画の場合、作り手があえてミステリ映画を撮ることを放棄してしまっている感がある。原作は京極堂のくどいまでの冗舌さによってミステリとして成立しえている。でも映画でそれをそのまま再現するのは無理がある。だからこの際、ミステリとしての本来の姿はいったん反故にして、一編の娯楽映画として別の形で成立させよう──そういう意図が作り手側にあったのではないかと思う。
だから前作同様、この映画でも京極堂は憑物落としの際に黒い服を着ていないのだけれど、そのことがあまり気にならなかった。なぜって、彼の憑物落としがまともに描かれていないからだ。となれば、そんな主人公に本来の姿を期待する必要もない。
ということで前作同様、ミステリとして観た場合には不満の残る作品だけれど、それでも一編の娯楽映画としてはなかなかの力作だと思う。とりあえず京極作品のリミックス・バージョン的な映画としてならば、それなりに楽しめたかなと──そういう作品。
(Dec 27, 2008)