ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト
マーティン・スコセッシ監督/ローリング・ストーンズ/2008年/アメリカ/TOHOシネマ六本木
僕はどうやらマーティン・スコセッシという人をあなどっていた。
ストーンズに関しては90年代以降、ツアーごとにその模様がDVDでリリースされているし、ライブ映像自体はすでに珍しくもなんともなくなっている。いまさらスコセッシが監督を務めたからといって、特別な映画ができるとは思っていなかった。だから僕はこの映画にとりたてて期待もせず、ただライブ映画だから一度は大音量で観ておくべきだろうと劇場へ足を運んだのだった。
ところがどっこい。いざ観てみればこれは単にライブ演奏をフィルムに収めただけの映画ではなかった。大半が演奏シーンであるにもかかわらず、これはまさしく「映画」と呼ぶにふさわしい作品に仕上がっている。映画のポスターに「この臨場感はライブでも味わえない!」というキャッチコピーがあったけれど、まさにそのとおり。この映画が味わわせてくれる生々しさは、ライブ会場に足を運んでも得られない
極論してしまうと、この映画の肝は音楽のミックスにある。
普通のライブ作品の場合、まず初めに音楽があって、監督はそれにあわせて映像を選ぶ。演出としての効果音が入るような場合は別として、基本的にどんな映像を流そうとも、音楽のミックス自体は変わらないはずだ。
ところがスコセッシはこの映画で、大胆にも映像にあわせてミックスをいじってみせた。コンサートで間奏のギターソロのところだけ、ギターのボリュームが大きくなるというのは普通にあることだけれど、あの手のことを自分が選んだシーンにあわせて、映画のほぼ全編にわたってランダムにやってみせているのだった。
つまりキース・リチャーズがアップになるシーンでは、キースのギターのボリュームが上がる。ロニー・ウッドにクローズアップすれば、ロニーのボリュームが上がる。それが彼らのソロ・パートならば普通かもしれないけれど、スコセッシは単にバッキングでリズムを刻んでいるときでも、絵として映えると思ったシーンならばお構いなくそうする。
結果、この映画は映像ぬきで音だけ聴いている人にとっては、おそらくとても妙なミキシングになってしまっているはずだ。だって曲の構成にかかわらず、わけのわからないところでいきなりギターの音が不自然に大きくなったりするのだから(CDでは特になんとも思わなかったので、サントラと映画ではミキシングが違うんじゃないかと思う)。映像を生かすために音楽としての完成度を犠牲にしているわけで、音楽至上主義的な見方をするならば、とても許されないことだと思う。
しかしながら、ことこの映画にかぎってみれば、その効果は絶大だった。この作品は観る人に、これまでに経験したことのない生々しい臨場感を味わわせてくれる。キースのギターがストーンズの音楽のなかで、本人の立ち位置からはどんな風に鳴っているのか──本来ならば本人にしかわからないはずのその感覚を、この映画は僕らに疑似体験させてくれるのだった。
青春時代をキースの物真似をして過ごした僕のような男にとっては、これはなんともこたえられない体験だった(ときおり涙腺が緩むくらいに)。サラウンドの効果も絶大で、まるで実際にライブ会場に入り込んだような気分になれる。僕は映画館で見ていることを忘れて、一曲終わるごとに拍手しそうになっていた。
現実問題として、エレクトリック・ギターの音はアンプから出ているわけだから、プレーヤーの近くに寄ったからといって、その人のギターの音だけが浮き上がって聞こえるなんてことはあり得ない。だからあれは映画なればこそ可能な、映画ならではの演出なわけだ。この作品は音楽映画が時としてライブの代替以上のものになり得ることを証明している。そこに映画監督としてのマーティン・スコセッシの並々ならぬ自負を感じた。
ほんと、この映画についてはほかにもミック・ジャガーについてや、彼とスコセッシの確執(?)についてなど、語りたいことがもっとあるのだけれど、今日のところはこれ以上書くパワーがない。なんにしてもこれは単なるライブ映画というにとどまらない、09年に観た最初の一本にして、もしかしたら今年の映画のベストワンはすでにこれで決まりじゃないかと思わせる最高の作品だった。ストーンズ・ファンは必見。それもできれば、ぜひ劇場で。
(Jan 10, 2009)