ジブリ・コンプリート計画その2は、宮崎駿氏の長男、吾朗氏が監督をつとめた『ゲド戦記』。
しっかしこれもなぁ。つまんなくはなかったけれど、あまり出来がいいとも思えない。どうにも、なにもかもが中途半端な気がしてしまった。
そもそも、原作を読んでいない僕には、これがなぜ 『ゲド戦記』 というタイトルなのかがわからない。途中でハイタカが「ゲド」と呼ばれるシーンがあるから、ああ、この人がゲドなのかとは思ったけれど、ではなぜ彼の名前がこの物語に冠されているのかは最後まで謎のまま。どう見たってハイタカはこの映画の主役とはいえないし、それほどすごい人という印象さえない。「戦記」というわりには戦争のシーンもまったくない。
で、調べてみれば、原作の 『ゲド戦記』 は魔法使いのゲドことハイタカを主人公にした全5巻の物語だという。この映画はそのうちの一冊を宮崎吾郎が思いきり脚色したものらしい(おそらく原作とは似ても似つかないほどに)。たぶんアレンというジブリらしい少年を主人公に据えた時点で、原作からは大きく乖離してしまったんだろう。
でも僕はそれって作り手としてどうなんだと思う。仮にも 『ゲド戦記』 を名乗るからにはゲドを主人公にすべきだろうし、そうでないのならば、たとえ 『ゲド戦記』 に材を得ていようと、タイトルを変えるのがクリエーターとしての誠意ではないのかと。この内容で 『ゲド戦記』 を名乗るのは、『ロード・オブ・ザ・リング』 や 『ナルニア物語』 がヒットしたことを受けての便乗商法としか思えない。ジブリのように世界的にネーム・バリューのあるスタジオがそんなせこいことしなくたってよさそうなものだろうよと思う。
もうひとつ気に入らないのが、この映画が中途半端に残酷なシーンを描いている点。
冒頭のドラゴンが殺しあう場面や、アレンが父親を刺してしまうシーン、終盤にクモの腕が切り落とされるシーンなどがそう。最後のやつは 『もののけ姫』 を思い出させる点で二番煎じの感が否めない。宮崎父のような覚悟があって、そういうシーンをあえてアニメで描いているならばともかく、とてもそうとは思えない。
なかでも、なにより嫌いなのが、父殺しのモチーフ。僕はそれが原作にはないこの映画のオリジナルだと聞いて、あきれてしまった。親殺しという大罪を借りものの物語に軽々しくつけ加える感覚がまったくわからない。
正直いって、この映画は演出的にも動画としての出来映えとしても、子供向けのレベルを出ていないと思う。それなのに中途半端に残酷なシーンを入れる──しかも親殺しという深刻なエピソードまでつけ加える──ところに、作り手の身の程知らずさを感じてしまう。僕はこの内容だったらば逆に、ディズニー映画のように最初から子供向けと割りきって、残酷シーンはいっさいなしで、明るい作風のファンタジーにしてしまったほうが似合っていると思う。
さらにいうと、これは近年のジブリ作品のつねだけれど、声優に本職でない人たちを起用している点も気に入らない。テルー役の新人の子なんて素人まる出しだし、『千と千尋の神隠し』 ではハマリ役だった菅原文太も、ここでのハイタカ役には若さが足りない。
田中裕子は今回も見事だと思ったけれど、あとで彼女の役がじつは男だったと知ってがっくり(女性としか思えない)。主役のアレン役の岡田准一もなかなか悪くなかったけれど、そのウジウジしたキャラがまるで碇シンジのようで、なんだかジブリがエヴァンゲリオンをぱくっているみたいで、居心地が悪かった。
そういや主人公のアレンが持っている「抜けない剣」もなんだそりゃって感じだった。さんざんじらすから、抜けたらどんなにすごいことが起こるのかと思っていれば、なにひとつ起きやしないし。その一方で、まったくすごいところのなさそうだった女の子には、すごい秘密が隠されていたりするし。この2点に関していえば、伏線の張り方がなってなさすぎる。
とにかくこの作品、宮崎アニメ風のキャラと演出をまじえつつも、作画の出来は平凡、シナリオには難あり、物語は中途半端なエヴァもどきとくる。やはりこりゃ駄目でしょう。振り返って考えてみるに、よかったのは竜とアレンが向きあっているポスターだけって気がしてくる。これでは宮崎ジュニアは親の七光のそしりを免れまい。
そうそう、この映画のなによりの問題は、宮崎父の作品にあるような、アニメである必然性がまったく感じられない点。僕は観ていて、これが実写映画ならばよかったのにと何度も思ってしまった。こんなのはアニメでしか見られないというシーンがひとつもなかったからだ。それじゃしょうがないだろう。アニメは実写映画の代用品じゃない。仮にもあの父のあとを継ぐつもりならば、そのことを知らしめるような映画を作ってくれないと。
(Aug 27, 2010)