2023年12月の映画

Index

  1. クリード 過去の逆襲
  2. エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
  3. バック・トゥ・ザ・フューチャー
  4. バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2
  5. バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3

クリード 過去の逆襲

マイケル・B・ジョーダン監督・主演/テッサ・トンプソン、ジョナサン・メジャース/2023年/アメリカ/Amazon Prime

クリード 過去の逆襲

 『クリード』シリーズの第三弾である本作では、主演のマイケル・B・ジョーダンがみずから監督を務めている。
 『ロッキー』でも二作目以降はスタローンがメガホンを取っていたから、プロダクションの面でもこのシリーズは『ロッキー』を踏襲しているわけだ。
 ただ、今回のエピソードにはシルベスタ・スタローンは出てこない。特別な説明もないまま(なかったですよね?)ロッキーは過去の人になってしまっている。
 それでもそんな重大な事実に違和感がないのは、この作品がクリードの引退試合から話が始まるから。
 え、前回でチャンピオンになったのに、もう引退?
 まぁ、主人公がもう引退を考える年ならば、すでにロッキーが故人となっていてもおかしくない。少なくてもロッキーの不在の理由を説明せずに納得させる上では悪くない設定だと思う。前世代ヒーローの最後を描くお涙頂戴な作品だって作れただろうに、それをあっさりと放棄した姿勢も潔くていい。
 物語は引退したアドニスの前に、少年時代に兄と慕ったデイミアン(ジョナサン・メジャース)が現れ、敵として立ちふさがるというもの。
 デイミアンはアドニスのせいで刑務所に入ることになり、ボクサーとしてのキャリアを棒に振っている。彼に対する罪悪感を抱いていたアドニスは、出所してきた彼に自身の後継者と育ててきたボクサーと対戦するチャンスを与えたところ、結果は(当然のごとく)デイミアンの勝利。一夜にしてチャンピオンの称号を得た彼は、メディアを味方につけて、アドニスを挑発し始める。そして再びアドニスがリングに立ち、両雄があいまみえる日が……。
 引退したアドニスよりも年上のデイミアンが現役バリバリのチャンピオンに勝っちゃうというシナリオはご都合主義が過ぎて、どうにも説得力がないのが残念なところ。
 アドニスの引退というプロットはロッキーの不在を説明する上では有効だったけれど、逆にメイン・ストーリーには悪影響を及ぼしてしまっている。映画って難しい。
(Dec. 03, 2023)

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート監督/ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァン/2022年/アメリカ/Netflix

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(字幕/吹替)

 今年のアカデミー最優秀作品だそうだけれども……。
 これに最高の栄誉を与えてしまうアカデミー賞ってまずくない?
 作品自体は唯一無二の個性を持った良作と思う。でもこれが最優秀作品として後世に語り継ぐべき名作だとまでは僕にはとても思えない。
 だってこれ、基本的にはB級SFだよね?
 クリーニング屋の経営に悩む中国系アメリカ人のエヴリン(ミシェル・ヨー)が、じつは異次元ではカンフーの達人だったり、有名女優だったりする特別な存在で、そんな彼女が世界の破滅を救うため、時空を超えた戦いを強いられるというSFバトル・アクション・コメディ。
 異次元の自分と意識をつないで行き来するには、普通はしないような変なことをしないといけないという設定で、靴を左右反対にはいたり、変顔をしたり、奇声を発したりという些細な行為が、やがてエスカレートして、ついには肛門にトロフィーみたいなやつを突っ込むという変態行為にまで至る。
 なんて下品なんだ!
 笑いが「カンチョー!」って大喜びしている小学生レベル。これがオスカーにふさわしいと思った人たちのセンスが疑わしい。賞をもらった当事者がいちばん当惑したんじゃなかろうか。こういう作品はアンダーグラウンドでカルトな人気を博しているくらいがちょうどいい。
 そういうこてこてなギャグがある一方で、クライマックスでは人情噺的な落ちをつけて感動させるところも、僕のバランス感覚からするとB級なものに映る。
 内容が内容だけに、もしもこの映画を白人だけのキャスティングで撮っていたりたら、たぶん作品賞の候補にさえならないんじゃないかという気がしてしかたない。ポリコレにもほどがある。
 オスカーなんて肩書がついていなければ、すごいけどバカな映画だなぁって笑って楽しめたのに……。
 アカデミー賞も終わってんなぁ……と思ってしまった。
(Dec. 03, 2023)

バック・トゥ・ザ・フューチャー

ロバート・ゼメキス監督/マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド/1985年/アメリカ/Apple TV

バック・トゥ・ザ・フューチャー (字幕版)

 言わずと知れたタイムトラベルSFコメディ・シリーズの第一作目。
 何度も書いているように、僕は自分が思春期を過ごした八十年代の風俗その他が好きではないので、その時代の空気をもろに反映したこの映画もいまいち愛着がわかないのだけれど、でもひさびさに観ると、さすがに人気があるだけあって、シナリオは見事だ。
 マイケル・J・フォックスが演じる主人公のマーティは、ギターとスケボーが得意な高校生。天才科学者ドク――クリストファー・ロイドがこの映画が公開された年にはまだ四十七才って事実にびっくりだ――が発明したタイムマシン、デロリアン号の実験に立ち会った彼の前に、突如テロリストが襲いくる(ドクにタイムマシンの動力に使うプルトニウムを奪われたことの報復とからしい)。
 凶弾に倒れるドク。難を逃れるべくデロリアンに乗り込むマーティ。
 テロリストに追われた彼は逃走のためデロリアンのアクセルを踏み込み、かくしてタイムトラベルに必要な速度に達したデロリアンは、彼を過去の時代へと――彼の両親が出逢った五十年代へと――運んでしまう。
 ということで、過去にタイムトラベルしてしまったマーティは、もとの時代へと帰るべく、若き日のドクを探し出して協力を仰ぐことになる。また、彼の登場で雲行きが怪しくなってしまった両親の恋を成就させるべく尽力する必要に迫られる――そうしないと自分が生まれてこないことになってしまうので。
 さて、マーティはいかにして未来へと帰るのか。そして両親の恋の行方は――。
 ピタゴラスイッチみたいなカラクリ装置と超巨大ギターアンプの暴発ギャグから始まって、デロリアンの実験にテロリストの襲撃に過去へのタイムスリップと、もう序盤から見せ場と遊び心が満載。いくつもの伏線を回収してゆく終盤の展開もタイムトラベルものならではのおもしろさだし、マーティのキャラが象徴するお気楽な八十年代的楽観性を受け入れられれば、こんなおもしろい映画、またとないかもしれない。
 まぁ、僕個人は正直、そこのところがいささか苦手なんだけれども。
 これにしろ、『インディ・ジョーンズ』や『グレムリン』にしろ、スピルバーグが絡んだこの時代の映画って、当時は大喜びして観ていたのに、いまとなるとたまらなく古びて感じられる。古びて味が出るならばともかく、単に鮮度が落ちた分チープになっている風な感じ。
 昨今の昭和レトロブームと一緒で、もしかしたらこういうチープさもいまの若い子に受けたりするんだろうか?
(Dec. 24, 2023)

バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2

ロバート・ゼメキス監督/マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド/1989年/アメリカ/Apple TV

バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2 (字幕版)

 前作のラストで未来から戻ってきたドクに連れられて飛び去ったマーティは、いかなる未来を見せれられたのか――を描いてみせたシリーズ第二弾。
 この映画のなにがすごいかって、マーティが向かった未来が2015年ってところ。
 すでにいまから八年前じゃん!
 映画のなかでは自動車が空を飛んでいたり、ごみを燃料にしていたりするけれど、残念ながらそんな未来は実現しなかった。現実は想像力に追いつけず。
 未来のマーティはろくでもないことになっていて、そんな彼を救うためにドクがマーティを未来に連れてくるという展開なのだけれど、でもそれってどうなの?
 自分たちに都合が悪いからって、勝手に未来を変えちゃ駄目じゃん?
 一度もタイムマシンに乗ったことがないお爺さんが勝手に運転して過去にいって帰ってくるというシナリオにもいささか説得力がないし、前作ほどに評価されていないのはその辺がしっくりこないのが原因ではないでしょうか。お母さんの落ちぶれた姿も美しくないしねぇ……。
 でも未来の問題を解決して戻ってきてみたら、現代がディストピア化していてびっくり、という展開は個人的にはけっこう好きだ。前作が徹底して能天気だったから、ここで一時的にせよダークサイドを描いてみせたのはバランス感覚的に悪くない。そこから再び過去へってシナリオも意外性があってよい。
 まぁ、おかげで物語がパラレルワールド化してしまい、美しくない現実を突きつけられるようなシーンが多くなって、結果人気いまいちってことになっている気がしなくもない。
(Dec. 24, 2023)

バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3

ロバート・ゼメキス監督/マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド/1990年/アメリカ/Apple TV

バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3 (字幕版)

 百年前にタイムスリップしてしまったドクをマーティが助けにゆくシリーズ最終作。
 第一作と同じように物理的な制約の大きな過去に戻ったことで、さてどうやって未来に帰ろうかと頭を悩ますことになるのがこの第三作の肝。
 すでに車が普及している五十年代とは違い、今回の舞台は西部劇の時代。ガソリンさえないから、自動車を走らすことができない。
 到着早々ネイティヴ・アメリカン――マーティが「インディアン」と言っているのに字幕は「ネイティヴ・アメリカン」――の襲撃に巻き込まれて、ガソリンタンクに穴の開いたデロリアンは走ることができなくなってしまう――って、え?
 未来改良型になったデロリアンって、ごみを燃料にして走れるんじゃなかったっけ?
 そもそも充電もしてないのにホバーボードはすいすいと飛ぶし。充電が必要のない未来の技術だというんならば、デロリアンだって一緒でしょう?
 そんな風に、なんかディテールの設定があれこれいい加減。今回の鍵となるドクとクララ先生――演じるメアリー・スティーンバージェンはなんと先のオスカー女優らしい――の恋愛劇もびっくりしちゃうくらいイージーだ。
 散々過去を改ざんして歴史を変えちゃいけないといいながら、未来に帰るために列車強盗をしてまったく悪びれない罪悪感のなさもすごい。人殺しをしなければ、機関車を盗んで谷に落としていいってことはないでしょう? それって立派な犯罪じゃん。
 ドクたちが未来へ帰るためにジオラマを作って作戦をシミュレーションするシーンがあるけれど、要するにああいう子供の遊びをそのまま実写化したような映画だと思う。このシリーズを楽しむすべは、数々の伏線を生かすために張り巡らされた数多のご都合主義をどれだけ受け入れられるか――なによりそれって気がする。
 その無邪気さを素直に受け入れられれば勝ち。最後の列車の暴走シーンとかむちゃくちゃスリリングで楽しめるはず。
 つまらないことをつべこべいわず、童心に帰って楽しめ!――って。
 理屈屋の僕にはなかなかそれが難しい。
(Dec. 29, 2023)