1997年のコンサート

Index

  1. ブルース・スプリングスティーン @ 東京国際フォーラム・ホールA (Jan 31, 1997)
  2. エレファントカシマシ @ 渋谷公会堂 (Apr 27,28, 1997)
  3. シェリル・クロウ @ 東京厚生年金会館 (May 16, 1997)
  4. シャーラタンズ @ 赤坂ブリッツ (Sep 2, 1997)
  5. エレファントカシマシ @ 日比谷野外大音楽堂 (Sep 13, 1997)
  6. 奥田民生 @ 日本武道館 (Sep 24, 1997)
  7. エレファントカシマシ @ NHKホール (Oct 9, 1997)
  8. シーホーセズ @ 恵比寿ガーデン・ホール (Oct 30, 1997)
  9. プライマル・スクリーム @ 赤坂ブリッツ (Nov 10, 1997)
  10. ソウル・フラワー・ユニオン @ 日清パワーステーション (Dec 14, 1997)

ブルース・スプリングスティーン

ゴースト・オブ・トム・ジョード・ツアー/1997年1月31日/東京国際フォーラム・ホールA

Ghost of Tom Joad

  『ボーン・イン・ザ・USA』 の時のツアーから12年ぶり、その後のアムネスティ・インターナショナルでの来日からは9年ぶりとなるスプリングスティーンのコンサート。ただし今回の来日は彼一人きりのアコースティック・ライブだった。
 会場となった東京国際フォーラムは先月オープンしたばかりの真新しい施設。狭い敷地内に大小四つのホールと飛行船のような天蓋を持った巨大な建築物が密集した、ガラス張りの近未来的なイヴェント空間だ。新都庁ビルといい、ここといい、このところの東京都の建築物にはやたらと金がかかっている。経済力だけが取柄の日本の首都としての見栄がバブルで膨れ上がった結果なのだろうけれど、すっかり懐具合のさみしい昨今、普通ならばけちの一つもつけたくなるところだ。でもここに関しては、そうした無駄遣いに腹が立つよりまず先に、その設計の新奇さに目を奪われた。地下なんてまるで 『スターウォーズ』 のセットに入り込んだみたいで、その奇抜さに思わず笑ってしまった。
 会場のホールAは、客席が上へ上へと広がった新宿厚生年金会館タイプの、ロックよりはクラシックのコンサートに向いていそうなホールだった。A席のチケットはその一番上のフロアで、席に辿り着くまでにやたらと階をあがらなくてはならない。普通のビルの五、六階にあたるんじゃないだろうか。自分がいったいホールのどのあたりにいるのか、よくわからなくて、席を見つけるのが大変だった。今回の公演ではスプリングスティーンの意向により、コンサート開始後の入場は、曲と曲のあいだでないと認められないというので、開演時間ぎりぎりにやってきた僕の妻も、席を見つけるのに苦労して走ってしまったと、汗をかいていた。
 でも、そんな彼女の汗かきも無駄な努力に終わり、ようやくライブが始まったのは開始予定時刻を二十分以上も過ぎてからだった。一人きりのステージだから、セッティングにそう時間がかかるとは思えない。多分、新しい会場のため、観客の入場がスムーズに行かなかったということなのだろう。もしくは曲間の入場制限のために、遅れて来た客に対して配慮したのかもしれない。いずれにせよ、ようやく場内の照明が落ちたのは七時半近くになってからだった。
 ステージ上にいるのはスプリングスティーンたった一人だから、照明はほとんどスポットライトのみという感じだった。暗いステージの中央一個所に集中したあかりの中に、スプリングスティーンが歓声を浴びながら登場する。
 オープニング・ナンバーは当然のごとく 『ゴースト・オブ・トム・ジョード』 。開演前に「アーティストの意向により、本日のコンサートは座ったままご覧ください」という場内放送が流れたこともあり、曲の始まりと終わりには大きな拍手と歓声が巻き起こるものの、それ以外は非常に静か。誰もがみな、じっとして黙ったまま、スプリングスティーンの歌に一心に耳を傾けている。まるでクラシック・コンサートのような雰囲気だった。
 近頃聞き慣れていたオープニング・ナンバーに続いて、 『アトランティック・シティ』 が始まる。 『ネブラスカ』 からスプリングスティーンを聴きはじめた僕にとっては、特に思い入れが深いナンバーだ。この曲をこうしてレコード同様のアコースティック・スタイルで聞ける日がくるとは思ってもいなかったので、とても嬉しかった。
 ただしこの曲、ギターのカッティングや歌詞の節回しが若干変わっていて、ちょっと違和感があった。これまでに聴いたことのある彼のライブ音源でもそうだったけれど、スプリングスティーンは弾き語りとなると、歌詞の内容をより強く訴えるためか、ロックン・ロール的な解釈を極力押さえたリズムと節回しを使う。おかげであまり乗りがよくなかった。僕としては、アコースティック・ギター一本でもこれほどドライブ感が出せるのだという演奏を期待していたから、その点はちょっともの足りなかった。わざわざ弾き語りというスタイルを取る理由を考えると、ずれた見方なのかもしれないけれど。
 この日のコンサートは、基本的にはアルバム 『ゴースト・オブ・トム・ジョード』 の曲を中心とした選曲だった。それにアコースティック・ヴァージョンにアレンジし直された往年の曲が絡む。特にそのアレンジが強烈だったのが 『闇に吠える街』 からのナンバーだった。 『アダム・レイズ・ケイン』 、 『闇に吠える街』 、 『プロミスド・ランド』 といったナンバーは、新しいアコースティック・アレンジによって、まるで別の曲のようになっていた。歌詞を知らなければそれらの曲だとわからないような変わりよう。 『アダム~』 などは原曲にあまり愛着がなかったせいで、曲の前にスプリングスティーンがなかなか流暢な日本語で「これは父と子の歌です」と紹介してくれたのと、今回のツアーでこの曲が演奏されているという情報を知らないでいたら、それとわからなかったんじゃないかと思う。あのシンセのリフをスライド・ギターで表現してみせた 『ボーン・イン・ザ・USA』 も同様だ。実際、スプリングスティーンのファンでない妻は、その曲が 『ボーン・イン・ザ・USA』 だとは思わなかったと言っていた。
 でも、そうした意表を突いたアレンジを施された曲こそが、このライブにおいてもっともダイナミックなナンバーだった。観客にその歌の世界が充分理解されているという安心感があるせいか、それらの曲については、歌詞を伝えることよりも、その新しいアレンジで楽しませてやろうという遊び心のようなものがあったのではないかと思う。
 デイブ・マーシュの 『明日なき暴走』 では、スプリングスティーンという人は、ライブではレコードのアレンジをそのままには再現しない人だと紹介されている。それを考えると、こうしたアコースティック・スタイルのライブで、既に完成された曲のイメージを打ち壊そうとする彼の姿勢はいかにも彼らしい。それに対してニューアルバムからの曲は、まあそのスタイルが今回のライブそのままのものであったということもあるのだろうけれど、アルバムの静かな雰囲気をそのままに再現するような内容となっていた。だからその分、歌の物語がびんびん伝わってくる。正直言ってこの日のライブで一番よかったのはこれらの新しい楽曲群だった。前もって歌詞をじっくり読んできた甲斐があったというものだ。
 人一倍歌を大切にするスプリングスティーンにとって、英語を理解しない日本人の前で歌うことは、かなり難しいことであるはずだ。今回のように、音楽的装飾を極力剥ぎ取ったスタイルであればなおさらだろう。この日のライブでも、自分のトークにはにかみ、笑いを交えて話す彼に対し、客席は沈黙するままというぎこちないシーンがかなりあった。
 それでもせめて曲の核となるコンセプトだけはわかって聴いてもらいたいという思いからだろう、長々と英語でしゃべったあとで一言だけ、 「これは男と女のセックスの歌です」 などと日本語をつけ加えて曲の紹介を終えるという彼の誠実さを僕は愛する。その誠実さに答えたくて、僕は必死に彼の言葉に耳をすました。コンサートでこの日ほど必死に英語のヒアリングに励んだことはいまだかつてなかったと思う。まあ、聞き取れたのは断片的な部分でしかなったのだけれど、それでもわからないよりはまし。いくらかならば英語がわかるという自己満足も味わえた。
 とにもかくにも、そんなこんなで、当初思っていたよりも、はるかに楽しむことができるライブだった。観に行く前は、もしかしたら眠ってしまうのではないかと、つまらない心配をしていたにもかかわらず、一度も眠くなることなどなかった。Eストリート・バンドとの再来日も期待してやまないけれど、再びこのスタイルで来日することがあったら、それもぜひ観たい、今度はもっと英語力を鍛え、もう一度観てみたいと思う。
(Feb 2, 1997)

エレファントカシマシ

TOUR 1997 『明日に向かって走れ』 /1997年4月27,28日/渋谷公会堂

ココロに花を

 今回は駄目だ。あまりに納得がいかなさすぎる。いや、ある程度は納得できるけれど、相手がエレファントカシマシである以上、それくらいでよしとするわけにはと言うのが正しい。
 とにかくオールスタンディングのライブハウスではなく、シートのある中規模のホールでのエレカシのライブというのが本当にひさしぶりだった。野音を除けばいつ以来になるのかも定かじゃない。ようやくこういう場所まで戻って来たかという感慨はなくはなかった。しかしそうした感慨も、集まった観客を見ていると冷める。
 ファンクラブ経由で取ったチケットだったせいかもしれないけれど、とにかく視野に入るのはパフィーもどきの少女たちばかり。要するにこれが近頃の日本のロック少女の典型であり、そうした新しい客層に支えられているのが今のエレカシなんだろう。 『悲しみの果て』 がターニングポイントだったのを考えると、もっともだという気はする。かつての内向的でありつつも激しかったエレカシの音楽を希求して集まっていた野郎たちの姿は、すっかり影をひそめてしまっている。いなくなったわけではないんだろうけれど、圧倒的多数を誇る少女たちのなかに埋没してしまっている。
 そうした女の子達の黄色い歓声を浴びて繰り広げられたこの日のエレカシのライブは、勢いがすべてといった印象だった過去のものと比べると、格段に安定感のある出来になっていた。音のバランスもいいし、なにより宮本の力が抜けている。もはやステージの上には、身を削るような激しさでエネルギーを放出する珍奇男の姿はなかった。
 もとより人並みではないパワーを持った男だ。少しばかり力を抜いたところで、凡百のパフォーマーよりもパワフルなことには間違いない。けれども昔の彼を知っている者から見ると、その落ち着きぶりはまるで別人のように見えた。お互いもう三十を超えているわけだし、そのことを非難したくはない。それでもバンドとしての適度なバランスのよさや、宮本の破綻のないパフォーマンスを目のあたりにすると、やはり違和感を抱かずにはいられなかった。これはなにか違うんじゃないか。どこかで歯車が狂ってしまっているんじゃないかと。
 もとより上手いバンドではない。リズムセクション二人の力量を判断するだけの経験はないけれど、宮本と石くんのギターがお世辞にも上手くないことは断言できる。それでもなおかつ、このバンドがかけがえがないのは、ひとえに宮本の発する圧倒的なパワーが、バンドというフォーマットの中に収まり切らないがゆえの壊れ方にあると僕は考えていた。プレーヤビリティのアマチュアリズムも、その破綻に価値を見出しているからこそ、必要悪的なものとみなしていた。
 こじんまりと耳触りの良い音にまとめた 『ココロに花を』 の音作りが我慢ならなかったのは、それゆえだ。下手にまとめるよりは、ある程度乱れたまま暴走することの方が大切だと思っている僕には、いかにあのアルバムに収められた楽曲が素晴らしかろうと、その姿勢が支持できなかった。
 だからこそ、 『ロッキング・オン・ジャパン』 のインタビューで宮本自身が僕と同じように、あのアルバムの音に不満をぶちまけているのを読んだ時には、まさにわが意を得たりの気分だった。宮本はできあがった音のあまりの不本意さに、聴いていたウォークマンを地面に叩きつけて壊したという。彼がそこまでの不満を感じている分には、エレカシは大丈夫だと思った。あの音はプロデューサーがついたがゆえの縛りがあったからだろう。ライブというエレカシが一番の魅力を放つことのできる表現フォーマットでならば、ひさしぶりに本当のエレカシを堪能できるに違いない。そう思ったからこそ、僕はこの二日のライブに、本当に期待していたのだった。
 ところがいざ会場に足を運んで僕が耳にしたのは、まるで 『ココロに花を』 をそのままステージで再現したような音だった。そして問題は音よりなにより、その演出だった。
 この二日間、エレカシはまったく同じ選曲、同じ曲順、同じMC、同じアクションでステージをこなした。まさにこなす、という表現がぴったりだった。アンコールの最後に宮本が左右のスピーカーの上によじ登って客席に手を振る。そんなアクションまでが初めから決められていたものだったのを知った時には、本当にがっくりきた(二日とも宮本がよじ登ろうとする前からスタッフがスピーカーを押えているんだから事前に決まっていたのは間違いないだろう)。アンコールでのお馴染みの客席とのコール・アンド・レスポンスも、こうした流れの中でやられるといつにも増してうんざりさせられる。なんでそんなことしなくちゃならない? そういう行為に喜ぶ観客を望んでいるのか? そんなに人気者になりたいのか?
 そうした姿勢は二日のうち片方にしか足を運べないリスナーにはフェアかもしれない。でも、エレカシの活動が気になるあまり、二日間とも足を運ばなくてはいられなかった僕らのようなリスナーには、単なる失望しかもたらさない。
 確かに売れなきゃ話にならないという議論はあるだろう。ポップミュージック界で生きる以上、売れないでなにを言っても負け犬の遠吠えかもしれない。でもだからといって人気を得るために取る手段としては、今のエレカシの路線はあまりにもぶざまだ。不釣り合いなCMやドラマ主題歌とのタイアップ、アーティストイメージとかけ離れたファンシーグッズみたいな名前のファンクラブ(なにがPAOだか)、妙に気どったレコードジャケット。 『生活』 のような孤高なアルバムを作ったバンドのその後の姿がこれだと思うと情けなくなる。
 これまで僕は、こうした現象はすべて今の事務所の人たちの悪影響だと思っていた。だからこそ、ある程度そうした人たちの束縛から自由であり得ようライブに期待していたのだった。それなのにステージ上にあったのは、あらかじめの決まり事でがんじがらめになった、解放感のない予定調和的なエンターテイメントだった。それはこれまでのエレカシがもっとも忌み嫌っていると思っていたものなのに……。それは僕の勝手な思い込みだったのか。
 エレファント・カシマシはささやかな成功と引き換えに、これまでの魅力であった飾らない野放図さをなくしてしまったように見える。普通にやって普通に評価されたいという姿勢がゆえに、型にはまった一般性に束縛されるという結果を生んでいるように見える。昨今のエレカシ人気は、エレカシという未曾有のバンドを、誰にでも理解できるわかり易さという通俗性の中へ貶めているような気がしてならない。しかもそれが過去の商業的な不成功ゆえに、宮本たち本人に対しても必要悪として受け入れられてしまった印象がある。それがなにより歯がゆい。
 とにかくここしばらくのエレカシを巡るフラストレーションを解消してくれるにはほど遠いライブだった。本編のほとんどを 『ココロに花を』 とそれ以降のシングル曲で押し切ったステージ構成には今までと違った意欲を感じたけれど、正直言って一番会場が盛りあがったのは 『珍奇男』 や 『ファイティング・マン』 という往年のナンバーを聞かせたアンコールだったと思うのは、僕の偏見のせいじゃないはずだ。あちこちで名作と言われている 『ココロの花を』 の楽曲だけでは盛りあがり切らないところが、今のエレカシが決して最高の状態ではないことをよく表していると僕は思う。
 この日のライブで個人的によいと思ったのは 『戦う男』 と、そのカップリングである 『遠い浜辺』 だった。CDでは大して印象がよくなかった後者だけれど、ライブではとても躍動感があってよかった。なんでCDは駄目だったのだろうと帰ってから聴き返してみると、やはりこれは音がしょぼい。なんだ、宮本プロデュースのくせにどうした、とクレジットを見てみると、 『戦う男』 こそ宮本のセルフ・プロデュースだけれど、こっちは佐久間正英との共同プロデュースになっている。やはり佐久間氏が絡むと駄目らしい。
 あと、宮本弾き語りによる新曲(追記・『月夜の散歩』)。これがいまどき、どうしたわけか、 『生活』 ~ 『奴隷天国』 の頃の不遇時代に作ったかのような旋律のバラードだった。詩の面ではこの頃の傾向を踏襲して、一見ラブソングらしく仕上げておきながら、今の日本では宮本以外には書き手のいないような、日本的で美しいメロディを聴かせる。こういう曲ができるなら、きっとまだまだ大丈夫だろうと思わせられた。ライブで他のメンバーを突っ立たせたまま一人弾き語りをする姿勢は前からあまり感心しないのだけれど、今回のライブではこの曲だけが次のアルバムに期待を抱かせるに足るものだった。
(May 1, 1997)

シェリル・クロウ

ジャパン・ツアー1997/1997年5月16日/東京厚生年金会館

Sheryl Crow

 セカンド・アルバムからのファースト・シングルである 『イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー』 から始まったコンサートは、その冒頭から、なんだか無茶苦茶弛緩した印象だった。シェリル・クロウ以外は全員男性で構成されたバンドが、とにかく垢抜けない。演奏も特筆するような点はないように思えた。黒いノースリーブのTシャツに色落ちしていないタイトなブルージーンズという衣装のシェリル・クロウも、だいたいそんなものだろうとは思ってけれど、とても地味。もともとそうしたビジュアルの面ではたいした期待は抱いていなかったものの、それでもやはりなんだかなあという感じだった。
 しかしながらこの曲のサビに入るなり、いきなり印象が変わる。とにかくシェリル・クロウの声に存在感があるからだ。彼女が高音を張り上げた時の解放感は予想だにしないものだった。もともとボーカリストとしての才能のようなものに気を止めたことのなかった僕には、意外なほどの気持ちよさだった。
 続けて 『ハード・トゥ・メイク・ア・スタンド』 『リーヴィング・ラスベガス』 、アコギをエレキに持ち替えての 『キャント・クライ・エニーモア』 と、彼女のレパートリーの中でももっともキャッチーなナンバーが立て続けに演奏される。いきなりのヒットメドレーぶりで、こんな曲ばかり最初にまとめてやってしまって大丈夫かと、余計な心配をしてしまった。実際、一緒に行った妻はその構成ゆえに、後半は地味な印象だったと言っていた。けれど僕にはそうでもなかった。先に上げた派手めな曲以外も、実はとてもメロディがいいことを発見させられた。とにかく無駄な曲がない。退屈しない。そんな優れた楽曲を堂々と歌い上げるのを見ているのは、この上ない楽しみだった。
 加えてこの人は、ステージでの立ち振る舞いにおかしみがある。ギターを弾いている時はどうということないのだけれど、楽器なしで歌に専念する曲では、やたらと手持ち無沙汰そうで動きがぎこちない。ボーカルは堂々としているのに、動作はまるで突然舞台に上げられてふざけて見せる子供みたいだった。セカンドのジャケットのジャンキー染みた印象は微塵もない。もう少しふてぶてしそうな女性を想像していたので、そのギャップは意外だった。実はとても可愛い女性なのかもしれないなと、思ってしまった。
 その後は 『エブリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード』 のアシッド・ハウス調のリズムや 『ナ・ナ・ソング』 のラップに意表を突かれた。 『オール・アイ・ウォナ・ドゥ』 は、まるでルシャス・ジャクソンのようだし、この人は単にオーソドックスなロック姉さんじゃないのだと認識を新たにさせられた。きちんとアルバムを聴けば、確かにバラエティに富んだ楽曲が並んでいるのに、なんでその音楽性の豊富さに気がつかずにいたのだろう。いろいろやってもとっちらからないバランスの取れた音楽センスの持ち主だということなのだと思うけれど、ともかくその才能に気がつかなかった自分の不明を恥じよう。こういう人に賞を贈るとは、グラミー賞も案外、馬鹿にできないかもしれない。
 本編のラストナンバーは僕の一番のお気に入りの 『アイ・シャル・ビリーブ』 。最後の節回しを変えてしまっていたのが若干残念ではあったけれど、それでもこのバラードは傑作だと思う。その後のアンコールでのプレスリーと 『マネー』 のカバーは、正直なところ、なくてもよかった。というより、それならオリジナルをもっと聴かせて欲しいという気分だった。
 インタヴューなどを読んだことがないので、失礼なことに、単に田舎出のシンデレラ・ガールかと思っていたのだけれど、この日のコンサートを見る限り、シェリル・クロウという人は、しっかりとした音楽センスを持った、気取りのない素敵な女性のようだ。
(May 19, 1997)

シャーラタンズ

1997年9月2日/赤坂ブリッツ

Tellin Stories USA

 オデッセーとかいうプロモーターの入場規制に憤慨し、開演時刻を三十分過ぎても始まらないステージに待ちくたびれ、仕事帰りで疲れているから、座ったまま観たくて、わざわざ二階席を取ったのにもかかわらず、前の女の子たちが立ち上がって踊り出すものだから、ステージがよく見えないという、そんなこんなで環境的にあまり恵まれない状況下に始まった今回のシャーラタンズの来日公演だったのだけれど。
 これが散漫になりがちなこちらの心をむんずと掴んで離さない、実に素晴らしい出来だった。
 始まった時は低音の割れた音響のひどさが気になったものの、そんなものはどの会場でも同じことらしく、3曲目くらいにはすっかり気にならなくなっていた。オープニングナンバーはニューアルバムの1曲目、With No Shoes で、さらに North Country Boy 、 Hoe High と同アルバムからの珠玉のシングルカット・ナンバーが続く。新作の曲と歴代のシングル・ナンバーを中心とした選曲は、もうすべてが名曲。シャーラタンズってこんなにいい曲ばかりのバンドだったかと、自分の不明を恥じずにはいられなくなるような内容だった。
 そんな名曲群をさらに際立たせるのが、以前より重厚さを増した演奏だ。この前の来日公演の時は、個人的にはあまり好きではないリキッドルームという会場のせいか、音圧が低く感じられた上に、あまり演奏力のあるバンドだとは思えなかったのだけれど、今回は全然印象が違う。練り込まれたアレンジにラウドな音の装飾を施されたそれぞれの楽曲のダイナミズムは見事なものだった。Get On It の後半のインストパートなどはストーン・ローゼズを思い起こさせるほどのグルーヴ感だった。ティム・バージェスのボーカルも思いの外の存在感がある(音程は危ないけれど)。
 ロブ・コリンズ死去の影響は大きな痛手だったのだろう。でも、そんな不幸にも負けず、バンドは大きく成長した。もとよりトラブルメイカーで不在がちな彼抜きでも通用するアンサンブルを残りのメンバーが獲得したがゆえの豊穣さなのだろう。シャーラタンズといえばオルガンが真っ先に指摘されるけれど、いまやギターバンドとしても十分に通用する。そこにオルガンが五分に絡むところに独自のカラーがあり、さらにサンプリングループなどを躊躇なく取り込む新しい音への貪欲さが、バンドにUKでもトップクラスのグルーヴをもたらすのだろう。
 1時間半足らずの演奏時間がもの足りなかったり、 Can't Get Out Of My Bed での演奏の乱れが残念だったり、ティム・バージェスの音程の危なさも時々気にはかかったりもしたけれど、でも全体としては大変充実したコンサートだった。
(Sep 3, 1997)

エレファントカシマシ

恒例!夏の野音'97/1997年9月13日/日比谷野外大音楽堂

明日に向かって走れ ― 月夜の歌

 夕方から雨が降るという、野外イベントにおいては嬉しくない天気予報のもとに開催された恒例の野音ライブ。しかしいざ始まるという頃になってみると、それまでは今にも泣き出しそうだった空模様が、穏やかな雰囲気に変わっていた。エレカシの明るい未来を予告でもしたんだろうか。ライブのあとで考えると、とてもそうは思えないのだけれど。
 さて、会場に踏み入れてみるとこれがすごい。立ち見までいる大盛況。こんなに多くの人がエレカシを見に集まっているのかと感心する。つい2、3年前のガラガラだった野音が嘘のようだ。隔世の感(もしくは今昔の感)とでも言おうか。
 とはいえ客が増えたくらいで簡単に変わるエレファントカシマシではない。微妙な方向修正をしながらも、この日もやはりエレカシはエレカシだった。これだけの客を集めておきながら、ステージにはセットらしいセットもない。ライティングも至ってシンプル。これなら数年前の方がまだ凝っていたのではないかとさえ思うほどの飾り気のなさだ。そして宮本はいつも通りの白いシャツに黒のパンツ。音楽以外はすっかりお馴染みになった宮本のエキセントリックなおどけ振りだけが唯一の演出というステージだった。
 一曲目は予定調和的な 『明日に向かって走れ』 。やはりという感じではあったのだけれど、宮本の歌が聞こえてきた途端にあれっと思う。そしてああ、これだったよなと思う。鼓膜にぶち当たってくるような印象の宮本の大声。これが聞きたくて、もうこの8年ものあいだ、夏になるとこの野音に通っているのだったと。
 そんなことを思うのは恐らく、その感覚にひさしくご無沙汰していたということなのだろう。春の渋公では、そのあまりに綺麗にパッケージングされたショーの内容に失望したあまり、そんなこと思ってもみなかった。このところのレコーディング作品ではすっかり控え気味の彼のボーカルも、やはりライブの場になるとそれなりに解放されないではいないらしい。歳のせいか、やはり以前に比べると最大パワーは落ちた印象だけれど、それでもなお、他の追従を許さないその声の力強さは、さらっと力を抜いたCDでの彼のボーカルばかりを聴き続けてきたこのところの僕らの耳には快感とさえ言えた。
 二曲目にライブの定番である 『夢を見ようぜ』 、そして凝りもせずまたもバラードだとの紹介で演奏されるは 『デーデ』 、続いて 『GT』 とアップテンポのナンバーが続く。多分この日のコンサートで一番盛り上ったのはオープニングのここらあたりではなかっただろうか。なぜなら、これらのあとに演奏された 『上野の山』 あたりから、客席の反応が心なしか悪くなった気がしたからだ。
 個人的には大好きなこのナンバーなのだけれど、今のエレカシのスタイルの中では滅法浮いて聞こえてしまった。それはオルガンをフィーチャーし、昔通り宮本が椅子に腰を下ろして歌った 『月の夜』 もまた同様だった。どちらのナンバーも演奏自体はかなりの出来なのに、どうにも収まりが悪い。さらにこれらの曲に挟まれていたのがアルバム 『東京の空』 からセレクトされた 『誰かのささやき』 『もしも願いが叶うなら』 『甘き夢さえ男には』 の三曲。これがまた盛りあらない(ように見えた)。
 正直な話、この日のライブで僕にとって一番嬉しかったのはそれらの曲だった。にもかかわらず、そうした状況であったことがとても残念だった。昔の曲をよく知らないファンが多いのか、それとも昔の曲は昔通り、みんな静かに聴いていたということなのか……。とにかく会場の拍手が力ないこれらの曲だった。
 終盤は 『ココロに花を』 からの三連発、 『かけだす男』 『うれしけりゃとんでいけよ』 『Baby自転車』 、そして 『戦う男』 でそこそこ盛り上げ、ラストを 『今宵の月のように』 で地味にしめて本編はあっさりと終わった。ラストナンバーをやる前から、宮本がアンコールを予告していたので、このエンディングがまた締まらない。シングルヒット中とはいえ、 『今宵の月』 は、もとよりライブでそう盛りあがるタイプの曲ではないし、この曲をラストに持ってきた構成はどうかと思った。
 アンコールはこのところのライブの定番と言った印象だ。 『男餓鬼道空っ風』 のコーラス・コーナーで失笑を買い、他のメンバーを突っ立たせたまま、弾き語りで 『涙』 を歌う宮本。中盤で 『月夜の散歩』 を同じように聴かせているのだから、ここでもう一曲の弾き語りは不要。歌うなら他のメンバーを一度下がらせて、一度にまとめて歌えばいいのに……。どうしてこのバンドはこうもステージ構成が下手なのだろう。あまりに下手すぎて嫌がらせにさえ思える。
 このあと、最初のアンコールは 『星の降るような夜に』 『ファイティングマン』 で終了。二度目のアンコールでは 『悲しみの果て』 と 『赤い薔薇』 を聴かせ、今年の野音は幕を閉じた。ラストナンバーが 『赤い薔薇』 だったのだけが意外だった。
 一応記憶にある限りのすべての曲を紹介したはずだ。落ちている曲があるにしろ、 『珍奇男』 が入っていないのだけは間違いじゃない。僕の記憶にある限り、これは僕がいままでに見たエレカシのソロ・コンサートのうちで、 『珍奇男』 が演奏されなかった初めてのライブだった。 『珍奇男』 をやらないくらいなら、あの会場との掛け合いの方をやめて欲しかった。
 来月からアルバムのツアーを控えているせいか、新曲もほとんど演奏されていない。結局、新鮮さのほとんどない、本当に恒例だから開かれた、次のツアーに向けた予行練習のような印象のライブだった。ちょっと拍子抜けした。
 終わってみれば冒頭で感じた宮本のパワー、バンドのパワーは、やはりおざなりなものだったのだろうと思う。以前エレカシのライブの帰りには欠かすことのできなかった耳鳴りは、この日のライブでも僕の耳に残ることはなかった。エレカシが轟音を引っ込めてからひさしい。僕はなによりそのことを寂しく思う。
 それなりに元気そうだった宮本も、その実は腹に据えかねることがあるのか、スタッフに八つ当たりするような仕種ばかり見せていた。実際スタッフと彼とのあいだの不協和音はかなりもののように見えた。乗りがいまいちだったのは、その辺のぎくしゃくした雰囲気が客席にも影響を与えていたような気がする。あれは八つ当たりなどではなく、日頃のスタッフへの鬱憤がステージ上でハイになった勢いで噴出した結果かもしれない。そうなると今の事務所やレコード会社との決裂の日も近そうだ。僕としてはいまの会社と契約して以来、いい印象は持っていないので、それならそれでいいのだけれど。
 とりあえず来月前半にNHKホールで行われるライブでは新曲中心のステージを見せてくれることを期待しよう。
(Sep 17, 1997)

奥田民生

ツアー'97“股旅”ファイナル/1997年9月24日/日本武道館

股旅

 なにやらどっしりとしたコンサートだった。アップテンポの曲を極力封印し、先のミニアルバム 『FAILBOX』 と未発表の新曲を中心とした選曲がずっしりと腹にこたえた。
 コンサートは西部劇の舞台を模したステージに、ウエスタンナンバーのパロディをSEにしたすっとぼけた演出で幕を開けた。オープニングナンバーは 『それはなにかとたずねたら』 。もうこの時点でめちゃくちゃ地味だ。奥田民生のMCもやたらと弛緩している。テレビで見るより全然シャイな印象だった。
 パフィーの 『これが私の生きる道』 と 『サーキットの娘』 (ボサノバ・バージョン?)という色モノ楽曲もある。途中、キーボードソロをバックに女の子がメンバーにドリンクを配って歩き、それを手にしたメンバーが思い思いの格好でくつろぐなんていう演出もある。 「だらだら」 というコンセプト通りの立ち振る舞いだったけれど、それでもそんな調子で二時間以上を飽きさせずに押し切った。
 圧巻は本編ラス前の3曲。粘りつくようなリズムの(多分)新曲2曲──追記・そのうちの一曲は『手紙』──と 『カヌー』 が並んだこの部分の濃さは相当なものだった。奥田民生のボーカリストとしての力量が遺憾なく発揮されていた。これらの曲のテンションの高さゆえ、個人的にはそのあとのトリの 『イージュー★ライダー』 が余計に思えた。ツアー最終日ということでわざわざ演奏された、アンコール・ラストの 『愛のために』 さえ余計に思えた。
(Oct 1, 1997)

エレファントカシマシ

TOUR 1997 明日に向かって走れ“秋”/1997年10月9日/NHKホール

明日に向かって走れ ― 月夜の歌

 オープニングは 『明日に向かって走れ』 。次に 『夢を見ようぜ』 が来るのは恒例。以降はアルバム 『明日に向かって走れ-月夜の歌-』 全曲と 『ココロに花を』 からの曲だけで本編を終えた。アンコールは 『涙』 をやらなかったことを除けば、野音の時とまったく同じだったはずだ。印象的には野音の時のセットリストから昔の曲をカットし、代わりに 『明日に~』 の曲を持ってきたという構成だった。アンコールで 『男餓鬼道空っ風』 『星の降るような夜に』 『ファイティング・マン』 の3曲が演奏されたものの、先日の奥田民生同様、この夜のエレカシも昔の曲はほぼ封印状態だった。昔の曲を封印することで新しいエレファントカシマシを十分アピールしたコンサートだったと思う。だがその結果として乗りの悪い、地味な内容になってしまっていた。渋谷公会堂の二の舞だ。僕は全然盛りあがれなかった。
 チケットは一階席の前から九列目と、比較的いい席だった。NHKホールの一階席は、二つの通路をはさんで三つに分かれている。僕の席はステージに向かって右手のブロックの一番左隅だった。ステージに向かった側が通路であったため、前方の客が立っても、坐ったまま宮本の姿が見える。前の席の女の子もずっと坐っていたため、実にひさしぶりに最後まで腰を降ろしたまま聴かせてもらうことができた。
 しかしそうやって坐って見ていると、実に観客の乗りが悪い。しらけていると言うのではない。基本的に再出発以降の曲が、踊れるタイプのロックンロールではないということだ。坐ったままステージを見上げる僕の視野に入る人々のシルエットは小さく首を振るばかりで、大きな揺れが会場に溢れることはほとんどなかった。大半の曲でただ棒立ちになってエレカシの粗雑な演奏に耳を傾けている若者たちの姿には、なんだかとても間違っているような印象を受けた。これはなにも立ちっぱなしで見る類いのコンサートじゃないだろうという。
 路線を変更して以降の宮本は、「とにかく曲のよさがすべてだ」という発言を連発している。そして、確かに彼の書いた新しい曲には素晴らしいメロディを持った曲が多い。ただその一方でロックバンドとしてのビート感は確実に殺がれてしまっている。だいたい、ここへ来てようやく売れたとはいえ、世間的に認知されたのは 『悲しみの果て』 と 『今宵の月のように』 だけだ。どちらもライブの中核となって、ステージを盛りあげることのできるタイプの曲ではない(と僕は思う)。
 例えばそれをスピッツに大ブレイクをもたらした 『ロビンソン』 と比べてみるといい。スピッツのこの曲は非常にポップでいい曲だけれど、それでいてライブのトリを飾るにふさわしいノリのよいグルーヴがある。会場を一体にして盛りあげることができるグルーヴがあると僕は思う。けれど今のエレカシのヒット曲には、そうしたグルーヴが欠けている。
 確かに曲はいい。メロディはいい。ただし、僕らは単にいいメロディを聴くためにわざわざライブに足を運んでいるわけではない。CDでは聴くことのできないプラスアルファを求めるからこそ、わざわざ高いチケット代を払ってまで、ネクタイを締めたまま、仕事帰りに彼らの生演奏を見に行っているんだ。今回のライブで、僕はそうしたプラスアルファをまるで感じることができなかった。多くのリスナーはそれでもいいのかもしれない。しかしかつての、会場を破壊しそうな音の記憶のある僕には、到底満足のいく内容ではなかった。
 演出に目を向けると、今回はステージセットこそいつも通り地味だけれど、ライティングはそこそこ凝っていた。 『今宵の月のように』 では3D効果のある星空がステージ上に拡がる。これには笑わせてもらった。バンドの音も渋公の時同様のまとまりを見せている。そんなまわりの影響か、全体的に昨日の宮本は大変落ち着いていた。奇矯な態度は相変わらずだったけれど、野音の時のようにいらいらした様子はなかった。ボーカルにも無理がなかった。よいメロディをとうとうと歌って聴かせるその姿は、大変ポップだった。その分インパクトは少なかったのだけれど。
 曲に関してかろうじてよかったのは 『戦う男』 と 『男餓鬼道空っ風』 くらい。でも後者は恒例の「エレファントカシマシと歌おう」コーナーに雪崩れ込んでしまうため、手放しには褒める気になれない。今回のアルバムの曲の中では比較的気に入っている 『恋人よ』 では、一番盛りあがるところで宮本の声が出なかった。さすがの彼も寄る年波には勝てないようだ。ちょっと淋しかった。
 とにかく新曲をすべて聴かせた姿勢はいいと思う。アンコールから 『涙』 を削ったのも正解だ。けれども、昨日のライブは僕が見たエレカシのライブのうちで、もっとも盛りあがらないもののうちの一つだった。野音のあとで急遽正月の武道館の二日目のチケットを取ってしまったけれど、その決断をちょっぴり後悔させるような内容だった。
 ただ、それはあくまで僕のみの感想かもしれない。実際、二度目のアンコールを求める客席の歓声は大変大きかったのだから。
 そうした大声援にあと押しされて、エレファントカシマシは僕らとは関係のないバンドへとシフトチェンジを始めているのかもしれない。今回もまた耳鳴りがしないことにもの悲しさを覚えながら帰り道を急ぐ、そんなコンサートだった。
(Oct 10, 1997)

シーホーセズ

1997年10月30日/恵比寿ガーデン・ホール

Do It Yourself

 ガーデン・ホールはこれが初めてだった。開演時間の10分前に着いてみると会場前はがらがら。ダフ屋が「定価より安く売るよお」なんて叫びを連発している。なんとも不景気きわまりない。昨今のイアン・ブラウンの批判的なインタヴューの悪影響もあるのかもしれない。
 ホールは2階。妙に体育館っぽい印象のある空間で、なぜだろうと思って考えてみたら、その床に原因があった。フロアがフローリングなのだった。
 そんな体育館みたいな会場で、開演時間を15分ほど押してコンサートは始まった。どんな音を聴かせてくれるのだと胸に一抹の不安を抱きつつ待ち構えていた僕の耳に入ってきたのは、BGMと聞き紛うばかりの小さな音だった(誇張あり)。
 とにかくジョン・スクワイアのギターが目一杯うしろに引いている。彼の音があまりに小さすぎる。もとよりアルバムの印象が悪かったからこそ、ライブでならば、ストーン・ローゼズに負けない轟音を響かせてくれるだろうとの期待を抱いて足を運んだコンサートだった。にもかかわらず、この上なく控えめな音。バンドのアンサンブルを第一にしようという意志の表われかもしれないけれど、とても納得のいく音量ではなかった。
 そういう状況なのでまったく気分が盛りあがらない。終始冷静な目で見ていると、こんなバンドなら掃いて捨てるほどあるとしか思えない。ボーカルのクリス・ヘルムの声は悪くない。ジョンが引いている分だけ、彼ばかりが目立っていた印象だった。
 けれどそんな彼の動きに張りがないため──あまりにUKっぽくない垢抜けなさのせいで、妻はライブ以来、彼を「アメリカ人」と呼び続けている──、それがバンドの地味な音と中庸な楽曲とあわさって、見ていても全然おもしろくない。ドラムも取りたてて感心するところがない。かろうじてベースだけは悪くなかった気がしたけれど、それがバンドを引っ張っていく魅力になるほどではない。概して実にありふれた平凡なバンドという印象だった。これだったら日本にもっといいバンドがたくさんありそうだ。
 結局、ジョン・スクワイアに尽きる。彼のリズミカルで豪快なギターサウンドを目一杯アピールしてくれたなら、他のメンバーの力量の足りなさもそれ程気にならなかったはずだ。けれどもニューバンドにおける彼は、完全に平凡な一ギタリストのポジションに甘んじていた。ローゼズであれだけアピールしていた感動のギターリフがこの体を震わすことはほとんどなかった。いったいこれはどういうことなんだろう。
 雑誌 『BUZZ』 のインタヴューでイアン・ブラウンは、ジョンの脱退の理由を、彼が他のメンバーの力量に不満を抱いた結果だったと説明している。それが本当だったとしたら、なぜその再出発がこんな形を取ってしまったのだろうか。どう見てもこのバンドはローゼズの足元にも及ばない。どうして自らのせいであの素晴らしいローゼズを崩壊させておきながら、こんな不甲斐ないバンドを結成して平然としていられるんだろう? このバンドはあまりにも情けなさ過ぎる。
 ライブは1時間足らずで終了した。信じられないほど短い本編に続き、アンコールが2曲。このバンドのファーストシングルであるオーラスのナンバーでは、ローゼズの 『リザレクション』 スタイルのギターソロを聴かせてくれはした。でもそれはあの混沌とした圧倒的な演奏とはくらべものにならない、単なる二番煎じの印象を残すものでしかなかった。全体的にあまりにつまらなかったので、早く終わってくれたことがありがたいくらいだった。
 とにかくそこはかとなく悲しい、僕にとっては今まで見たうちでも、下から何番目に数えられるライブだった。いや、おそらくこれが最低なんじゃないだろうか。うーん……。
(Oct 31, 1997)

プライマル・スクリーム

1997年11月10日/赤坂ブリッツ

Vanishing Point [12 inch Analog]

 シーホーセズのあまりに情けないライブに業を煮やし、いても立ってもいられなくなって、その翌日急遽チケットを取ったプライマル・スクリームのライブ。お目当てはもちろん、元ストーン・ローゼズのベーシスト、マニだ。ジョン・スクワイアの駄目さ加減を見たあとでは、イアン・ブラウンが来年再始動する前に、残ったもう一人の現状を確認せずにはいられなかった。
 赤坂ブリッツの二階席で、ミステリなど読みながら開演を待っていると、やがてゆっくりと客電が落ち、客席の歓声に混じって大音量のSEが流れ出した。小説の世界から、いきなりロックの場に意識が戻ってこない僕は、曖昧模糊とした状態のまま、漠然とステージを眺めていた。
 しばらくSEだけを聞かされたあとで、ようやくボビー・ギレスピーとマニが登場。ほかのメンツも一緒に出てきたのだけれど、ステージで前面に立っているのはこの二人。向かってステージ左のやや中央よりといった、普通ならベーシストやギタリストがいそうなあたりに、マイクスタンドにもたれるようないつものポーズで立つボビー。マニはそのボビーの脇を熊のようにのっさ、のっさと動き回りながらベースを弾き、客を煽り立てる。そのマニの豪快野郎なキャラクターが妙におかしい。ローゼズの時もこんなだったっけ?
 なんにしろボビー・ギレスピーのワンマン・バンドだったプライマル・スクリームが、マニの参加により二つの個性で引っ張っていく、より強力なバンドになった、そんな印象があった。
 バンドの音は、新作のダンサブルな音作りから予想されたとおりのものだった。そのせいか、期待のマニのベースは、ローゼズの時のようにバンドにしっくりきていない印象があった。ガツンガツンとした硬質でタイトな今回のバンドサウンドに、マニのスタイルが馴染んでいないように聞こえてしまった。微妙にマニのベースが全体のリズムからずれ、もたって聞こえた。
 まあ、それでも普段はベースなんて気にしない僕が、そのベースにばかり注意が向いてしまうほど、マニの存在感が大きかったということだ。もっとも彼目当てでわざわざ足を運んだんだから、その彼が目立って思えるのは当然といえば当然。彼のMCに対する客席の盛りあがりようが、僕と同じように彼に注目している客の多さを物語っていた。
 でも、贔屓目なしに見ても、僕には今回のプライマル・スクリームの方が、前回来日した時より、断然よく思えた。そしてそれはマニのキャラクターとベースサウンドに引っ張られて、会場全体が盛りあがったのに加え、バンドが時代に沿ったダイナミックなダンス・サウンドを追い求めていたのが大きいと思う。あまりにダンサブルな方へ向かい過ぎてしまい、おかげで古典的なロック・ファンである僕は、今回のアルバムがまるで好きになれず、ライブ前にわずか二回聴くのが精一杯という調子だった。当日演奏された曲にしたって、知っていたのはわずか5曲だ。大半の曲はタイトルがわからない以前に、今回のアルバムに収録されているかどうかもわからなかった。ひどい客だ。
 しかしながら、そんな僕でもいいライブだったと思えるあたりが、今回のプライマルの強さだと思う。曲を知っている、知らないというレベルを超えて、強烈に訴えかけてくるものが、この日のライブにはあった。僕は前のライブの時には演奏されたうちの大半の曲を知っていた記憶があるし、そして確実にその時のメニューの方がポップなラインナップだったとも思う。それでも今回のライブの方が印象がいいのは、確実に今度のプライマルの方が時代に沿ったロックを奏でているからだ。
 もはや僕らは、ただいい曲というだけでは簡単には乗れなくなっている。ハードな音とハードなリズムがあれば、逆にメロディなんて極力シンプルな方がいいのかもしれない。その結果、現在もっとも熱いバンドがプロディジーということになるんだろうし、この日のプライマルがかつてより強く僕に訴えかけたのも、ボビー・ギレスピーがそうした時代性をきちんと踏まえていたからに{ほか}ならない。そうした意味でも、シーホーセズで受けた欲求不満を解消するには、もってこいのコンサートだったと思う。
 それにしてもステージ上の豪快君マニを見て、そしてイアン・ブラウンのグラビア写真を見て、さらにレニが交通違反で捕まった際の裁判所での暴言を読んだりすると、この三人とジョン・スクワイアじゃあ合わなくても当然だったのかなという気がしてしまった。
(Nov 19, 1997)

ソウル・フラワー・ユニオン

年末ソウル・フラワー祭~恒例3DAYS/1997年12月14日/日清パワーステーション

ELECTRO AGYL-BOP

 やったらと疲れるライブだった。いや、別につまらなかったというわけではなくて、その逆にいつも通り十分楽しませてもらったのだけれど、ただ思わぬ前座があったせいで3時間に及ぶ長丁場。予想外の展開に体も心も準備ができていなかったせいで、すっかり疲弊してしまって、後半は見ているのがつらかった。その辺がいかにもソウル・フラワーらしい。
 ともかく、ひさしぶりのソウル・フラワーのライブだ。調べてみたら、本当にひさしぶりで、前回はなんと昨年の3月。実に1年8ヶ月ぶり。それも今回でまだ3回目。 『エレクトロ・アジール・バップ』 のリリース以降となると初めてだった。かなり特別に思っているバンドだったので、もっと観ているような錯覚を起こしていた。これがまだ3度目のライブだというのは、わがことながら、ちょっとばかり意外。それくらい彼らのライブは一回のインパクトが強い、ということのような気もする。
 なんにしろこの日のライブは、開演時間の7時をちょっと回ってから、前座バンドの演奏で始まった。でも言っちゃなんだけれど、これが最悪。新大久保ジェントルメンなるそのバンドは、音的にもキャラクター的にも、僕らの趣味にもっとも合わないタイプのバンドだった。基本的にジャズとロックの融合を狙った音作りで、ギターはなし、メイン・ボーカリストはいなくて、歌物は曲に応じてそれぞれのメンバーがソロを取るという構成。そしてメンバー各々が違った外国人の扮装をしてコミカルなイメージを狙うという、僕の苦手なタイプのユーモアセンスを発揮している。インターネットで仕入れた情報によると中川敬が気に入ってつれてきたらしいのだけれど、心から勘弁して欲しいバンドだった。
 そんなわけで、お目当てのソウル・フラワー・ユニオンにお目にかかれたのは、45分だかの忍耐の時間をやり過ごしたあとだった。ステージセットの交換なんかもあり、始まったのは8時過ぎだったと思う。
 この日のオープニングナンバーは 『こたつ内紛争』 。ある程度、彼らも計算しているのかもしれないけれど、やはりニューエスト・モデルの曲を持ってこられると盛りあがりが違う。個人的にはそこまで散々じらされたあとだったので、文句のない演奏だった。
 次が 『レプン・カムイ』 だったと思う。それからの選曲はよく覚えていないのだけれど、基本的にこの日のライブは 『エレクトロ~』 の曲を中心にした構成だった。それに新曲が2曲、サポート・メンバーとしてパーカッションをたたいていたサム・ベニングという外人さんのソロが一曲、今度出すという中川敬のソロ・プロジェクトの曲が一曲(ただしフレンチ・ポップスのカバーらしい)というところ。本編ラストは 『もののけと遊ぶ庭』 、アンコールは2回で、最初が 『ひぐらし』 と 『外交不能症』 、2度目が 『ジャングル・ブギ』 ですべて終了。いつもながら見ごたえのあるショーだった。
 そう言えば今回はメンバーもなにやら大所帯で、去年からメンバーになった大隈さんはもとより、前述の外人パーカッションがいるわ、フィドルの女の子がいるわで総勢9名。ドラマーもなぜだか「ゲンちゃん」なる人に変ってしまっていた。それでなくてもにぎやかな印象のあるバンドなのに、人数が増えたせいで、いままで以上に増してパワーアップしていた。
 それにしても本当に最近はエレカシが全然駄目なので、ソウル・フラワーのライブは、今の僕にとっては、この国の最高峰に思える。それくらい気持ちがいい。冒頭の数曲を聞いた時点でそのことを確信した。
 ただし、やはり昨今の民謡路線には歯がゆさを感じてしまう部分もある。モノノケ・サミットのように別働ユニットでやっている分には構わないのだけれど、それをこちらのバンドまで取り入れた今の路線には、このままじゃ一般の音楽シーンには浸透しないだろうと思わされるとっつきにくさがあると思う。素晴らしいバンドだけに、そうした傾向が残念でならない。
 そもそも伊丹英子がギターを弾く姿が好きな僕には、チャンゴなる楽器をたたく彼女の姿が歓迎できない。だいたいにして、あれがどういう音を出しているのか全然わからないのだし。この日のライブでは前半はギターしか弾いていなかったので、おお、ようやくあのわけのわからない楽器を見限ったかと喜んでいたのだけれど、結局ぬか喜びで、後半はチャンゴをたたいている方が多かった。英坊のチャンゴと比べると、内海陽子サンのチンドン太鼓はけっこうさまになっているけれど、それでも、そんなものたたかずに踊っている彼女の方が僕は断然好きだ。中川孝だって、三味線よりギターが聞きたいというのは言うまでもない(この日はその三味線で2曲を披露)。
 そんなことに対する不満はあるけれど、しかしそれでもなおソウル・フラワーのライブはいい。なまじいいから、ニューエスト/メスカリンの頃を知らない僕としては、その当時に近いハードさを一度でいいから経験したいという願望も湧いてきてしまうのだった。
 最後に。今回のライブで一番印象的だったのは、このユニットにおける内海陽子の貢献度の高さだった。彼女がいるといないで、ステージの印象が明らかに違う。ソロ・ボーカリストとしては決して僕の趣味ではない彼女なのだけれど、ことバッキング・ボーカリストとしての存在感に関しては、素晴らしいものがあると思う。そう言っても、きっと本人はまるで嬉しくないんだろうけれど。
(Dec 15, 1997)