ラナーク 四巻からなる伝記
アラスター・グレイ/森慎一郎・訳/国書刊行会
『哀れなるものたち』の作者であるスコットランド人作家、アラスター・グレイの怒涛のデビュー作。
よくあるパターンで、刊行されてすぐに買ったのに、あまりの厚さ(四六判二段組七百ページ超え)に放置していたら、いつの間にか二十年近くたってしまっていた。
わけあってこの春は時間に余裕ができたので、意を決して読んでみたけれど、これは僕には無理だった。このボリュームでこの内容は正直きつかった。
サブタイトルに『四巻からなる伝記』とあるように、この小説は四部構成になっている。実際にはエピローグにもかなりのボリュームがあるから、四巻半くらいのイメージで、そのうち一巻と二巻、三巻と四巻が対になっている。
でもって、物語はいきなりその第三巻から始まる。
描かれるのはラナークという青年の物語。作風はある種のファンタジー。メタフィクションな要素も含む。
そのあとに彼の過去の話だといって、短めのプロローグを挟んで第一巻が始まる。主人公の名前はダンカン・ソー。こちらの巻はほぼリアリズムに貫かれている。
一巻で彼の少年期、つづく二巻で青年期を描いたあと、物語は第四巻で再びラナークのいまへと戻ってゆく――のだけれど。
残念ながら、このダンカン・ソーとラナークのキャラクターがいまいち僕にはしっかりと結びつかない。
ラナークの巻については、巻末に収録されたインタビューで作者がカフカを意識したと語っていて、なるほど全編リアリズムを無視した不条理な展開に満ちている。人が竜になったり、歩いているうちにヒロインが妊娠したり、主人公が唐突に市長に任命されたり。時間の流れも自由気ままで一貫性がない。
そういう支離滅裂な不条理さを、芸術家の想像力がもたらす文学的な達成だとか捉えられればいいのかもしれないけれど、あいにく凡庸な僕にはそうはいかない。
とにかくまいったのは、主人公のキャラの一貫性のなさ。文学的な素養に溢れた若き画家だったダンカン・ソーが、なぜに幻想世界において、最後には市の代表として世界会議に出席することになるのか、さっぱりわからない。いきあたりばったりの展開に振り回されるばかりで、物語の世界に浸れない。
一般的な単行本二冊分くらいの物語を読み終えたあと、エピローグで作者と主人公の対話を読まされたり、そのあとに脇役による政治的スピーチを延々と読まされるのは、正直なところ退屈でしかなかった。
デビューまで四半世紀を費やしてこれだけの大作を書き上げた作者の才能と熱意と膨大な知識量には感服するし、これが唯一無二の個性を持った文学作品だという意見には異論がないけれど、でも好きかと問われたら、残念ながら好きだとはいえない。とりあえず読み終えられてほっとした。そんな作品。
(Jun. 11, 2025)