男はつらいよ 寅次郎かもめ歌
山田洋次監督/渥美清、伊藤蘭/1980年
さくら夫妻が一戸建ての新居を購入したと知り、兄としてご祝儀をはずまねばと思った寅さん。源ちゃんから二万円を借りて、祝儀袋に包んでみたのだけれど、博は遠慮してしまって素直に受け取らない。あげくの果てにはタコ社長の余計な助言に従って、それじゃあ五千円だけと言ってお釣りを差し出すという愚行におよび、寅さんはカンカンになって家を飛び出すことに。そりゃあ、お祝いにお釣りを返されりゃ、誰だって怒ります。
おもしろかったのはその次のシーン。旅先でテキヤ仲間が集まっているところで、寅さんがひとり絵葉書を書いているのだけれど、おそらくとらやへ宛てたそのハガキの文面のなかにある「二万円」の文字をペンでなぞって強調しているのだった。まだあの二万円のことを引きずっているのがわかって苦笑を誘う。なにげない、気をつけて見ていないと見過ごしてしまうようなシーンなのだけれど、そういうところに何気なくギャグを入れているのが気に入った。
この手の手の込んだユーモアは後半にも見られる。物語はその後、北海道のテキヤ仲間のひとりが死んだと知った寅さんが、その男の墓参りに行って一人娘のすみれ(伊藤蘭)と知り合い、彼女が上京して定時制高校へ通う手助けをするという話になる。寅はすみれにくっついて何度も学校に通ううちに、自分も仲間に加わりたくなり、さくらたちには黙って、ひそかに願書を提出したりする。その願書に書かれた生年月日が「昭和25年」になっているのだった(ちなみ書いてあるのは年だけで、月は塗りつぶされ、日にちは書いてさえいない)。
この映画が昭和55年の作品だから、額面どおりにとれば、つまり30歳ということになる(昭和15年と書いてあるんだと言う人もいるけれど、それにしても40歳)。第2作で38歳だった寅が、この時点でその年齢だなんてのは、あり得ない。つまりあれは寅さんが年齢を詐称しているわけだ。それは寅さんの、やっぱり自分の年齢で学校なんてなあと思う、羞恥心の表れだろう。それをそういう形で年齢を偽って見せてしまうところに寅さんらしさが出ていて、ささやかながら笑えるシーンだ。DVDが普及して何度も簡単に見直せるいまだからわかるけれど、これを映画館で見ても、よほど注意深くないと、そこまでは読み取れないだろう。こういう遊び心を感じさせる演出はなかなか心憎い。
あとこの作品でちょっとした驚きなのが、とらやに居候中のマドンナが恋人と無断外泊してしまうという展開。前作での寅さんがリリーと一軒家に寝泊りしながら、手のひとつも出さないわけだけれど、その次回作であるこの作品では、若いマドンナが男と一夜を明かして、朝帰りをするという大胆な行動に出る。これは前作の不自然なプラトニックさへの反動かなと疑ってみたりもしたくなった。
朝帰りをしたすみれは「電話しようと思ったんだけれど…」と口を濁して、無断外泊した理由を説明しない。まあ当然ながら男と一晩一緒にいれば、やっていることなんて決まっているわけだ。ここではそれをあえて説明せず、言葉を濁させることによって、その行為を見る側により強く意識させている。これは演出として上手いと思った。
なんにしろ今回の寅さんは、自らが言うとおり、マドンナを恋の対象としてよりは、かばってやるべき娘のような存在として見ているのだと思う(その結果の行動はやっぱりいつもどおりなのだけれど)。いつものマドンナとの関係の違いは、最初のうちは「すみれちゃん」と呼んでいたのが、いつのまにか「すみれ」と呼びつけになっているところや、抱きつかれたりしても変にでれでれしたりしないところに表れている。彼女が無断外泊したことで寅さんがうけたショックは、恋人に裏切られた男のものではなく、父親のそれと同じたぐいのものだろう。そんな風に感じられるところに、車寅次郎という男性の成長(もしくは老化?)の跡を見ることができると思う。
あとこの映画が風俗的な面でおもしろいのが、すみれがセブンイレブンでバイトをするという点。まだコンビニという言葉が普及していないので、さくらは「スーパー」と言っているし、レジ袋もポリエステルではなくて紙袋だったりする。80年の年末と言えば、ちょうどジョン・レノンが殺害された頃だ。その当時の日本のコンビニ状況はこういうことになっていたのかと、ちょっと感慨深かった。
ちなみにこの作品には二代目おいちゃんの松村達雄さんが定時高の先生役で出演している。そういえばこの人は桃井かおりが出た時に、披露宴の司会者だか仲人だかの役でも出演していた。でも気がつけば、すっかり下条さんのおいちゃん役が板についてしまっているので、いまとなると松村さんが出てきても、おいちゃんが二人いるような違和感はまるで感じなくなっている。確実に時は流れ、僕らの記憶は書き換えられてゆくのだった。
(Aug 19, 2006)