男はつらいよ 寅次郎心の旅路
山田洋次監督/渥美清、竹下景子/1989年
竹下景子、淡路恵子の二人のケイコさんが『知床慕情』から2年して再び共演している本作品は、旅先で出会ったノイローゼのサラリーマン坂口(柄本明)にすっかり気に入られてしまった寅さんが、彼に泣きつかれて一緒にウィーンへ海外旅行に出かける、という話。「ウィーンへ行きたい」と言われて、「ああ、由布院ね、あそこはちょっと遠いなあ」と寅さんがとぼけるシーンがやたらと記憶に残っている。
この作品は言うまでもなく、故郷の日本にいても浮きまくりの寅さんが、芸術の都ウィーンを訪れたらどうなるかというミスマッチが一番のポイントだ。笑わせどころは数多くあるけれど、なかでも公園で人のよさそうな白人のおばさんと言葉が通じないまま会話を交わして、せんべいをあげたりしちゃうシーンがとてもいい。こうした国境を越えた人懐っこさこそが、寅さんの人気の理由だと思う。
ウィーンと言えば『第三の男』だということで、この名画にまつわるパロディもある。淡路恵子さんが死に別れた旦那さんについて、「実はスパイだったらしいのよ」なんて言うシーンで、その旦那の顔写真がオーソン・ウェルズ(のそっくりさん?)だったりする。柄本明が舞踏会から帰ってきたシーンでは、建物に彼の影が大きく映るシーンがそのまんま、あの映画へのオマージュだ。ただしあちらとは違って、このシーンは美しいと言えるほどの出来ではない。両者を比べてみて、なぜ『第三の男』の映像があれほど賞賛されるのかわかる気がした。
三度目のマドンナとなる竹下さんは、残念ながらこれまでの出演時よりもやや魅力を欠く印象だった。ツアーのガイドをしたりしながら、異邦の地で苦労して暮らしているという設定が彼女から笑顔を奪い、その清楚な魅力に水を差してしまっているような気がする。白人の恋人がいるというのもなぁ。目の前で彼女と恋人の熱烈なラブシーンを見せられてしまう寅さんの心情には、いつになく強く共感してしまった。
ラストでくるまやを訪れた柄本明が、そのラブシーンの連続写真をさくらたちに見せるというシーンもなかなかすごい。柄本明の行為を通じて、海外旅行にゆくと写真ばっかり撮っている日本人を風刺しつつ、一方で寅さんの失恋をドキュメントして見せることで笑いを誘ってみせる演出は、なかなか高度なんじゃないだろうか。
柄本さんと言えば、彼が舞踏会──そんなものがあるんですね──で知りあったパン屋の店員さんに花を持って会いにゆくシーンもいい。一度は自殺までしようとした彼が立ち直ったことを印象づけて、(ちょっぴり気恥ずかしくも)あたたかい気持ちにさせてくれる。
もうひとつ好きなのは、寅さんがドナウ川のほとりに立って演歌を歌うシーン。「とくらぁ~」なんて合いの手をはさみつつ、ひとくさり歌ったあとで、竹下さんに向かって「なんだかこの歌、似合わないね」なんて言って笑いを誘っているけれど、ドナウ川に演歌というそのミスマッチが僕にはとても好ましく思えた。
(Dec 29, 2006)